食遊記2007中東編


カッパドキア

 トルコの世界自然遺産でも最も有名な場所です。観光客でここに来ない人はいないのではないでしょうか。冬を除いていつも観光客があふれています。冬の雪に埋もれた奇岩郡もまた綺麗ですが。滑って落ちて怪我しそう。
昔からキノコや煙突のように飛び出た奇岩郡の中に人々が穴を掘って住居としてきました。かつては貿易のキャラバンの休み場所として、あるときは迫害を受けたキリスト教徒が逃げ込み住居と教会を作りました。今は家畜小屋代わりや観光用のホテルになっています。夜はライトアップされてまるでディズニーランドのテーマパークのようです。見所は点在しているのですが、2日間現地発のツアーに参加してあちこち回りました。自転車やバスを乗り継いで行けないこともないのですが、昼食や入場料も込みで、ガイドが流暢な英語で歴史や宗教について解説してるのでツアーを選びました。トルコの田舎では英語が殆ど通じないので少しフラストレーションが溜まっていたので、ここではかなり気が楽です。私は日本初のいわゆる観光ツアーで行ったことはないのですが、こういう現地初の一日ツアーをよく利用します。各国の旅行者とも仲良くなれます。

カッパドギア中心のギョレメ村には奇岩を利用したホテルが多くある。泊った洞窟ホテルは昼は涼しく、夜はヒーターもあり、暖かく快適であった。 ギョレメ村には観光客向けの土産屋やレストランも多い、皆英語が通じる。居心地が良く。多くの旅行者がここに長居するのもわかる。
ケバブのなかでも、ADANA・KEBABはスパイスが練りこんであり、ピリカラでしかもやわらかく美味しい。
つけあわせは”BUKGUR PILAU”挽き割り小麦のピラフ。米のようだが、もっとプリプリしている。米とまぜるときもある。
トルコ料理にはパンはかかせない。料理を注文したら、前菜にそえて出てくる。無料。いくら食べてもOK。
ツアーに参加、国立公園の中でいきなりあらわれたナッツとドライフルーツ売り。プラムやアプリコットはポリフェノールも含み肉をよく食べる民族には必須。 国立公園にいた少年達。独学で覚えた片言の英語で必死に通訳して小遣いをかせごうとする。
奥はかつてこの奇岩郡に洞窟を作って逃げ込んで暮らしてきたキリスト教徒信者達の墓と霊廟。
スーフィーダンスはイスラムの神秘家達によって踊られる。白い衣装を着て高速で回転しなながらトランスし神に近づいていくのであろう。ショーでは青いライトで神秘的に演出されていた。本場としてはエジプト付近らしい。
プロによるベリーダンスショー。イスラムであるがために普通の女性は肌を見せて踊らない。かつては一般にさげすまれている職業であったり、法によって禁止されていた時代もある。今は日本でもひそかなブームになっている。
ディナーダンスショーに参加する。外国人観光客、トルコ人も加わって皆で酒を飲み最後は踊る。庶民のダンスはやはりベリーダンス風。
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 岩の間のブドウ畑。洞窟でくらしていたキリスト教徒達もここでブドウを育てワインを造った。肥沃な土壌ではなかったため、岩に穴をあけてハトの巣をつくり、そのフンを集めて肥料にしていた。 カッパドギアで作っているワイン。技術の向上で近代的なワイナリーもでき、質も非常によくなってきた。イタリアトスカーナワインのように太陽の光をいっぱいにあびたさっぱりとした辛口が特徴。。
夫婦で畑を耕しにきていた。棒切れに鉄のクワをさしこんだ簡単なつくりの道具で耕していく。 農家のおじいちゃん。英語はしゃべれなかったが、不思議とフランス語が片言しゃべれた。なぜかは聞けなかったが。
各種前菜が一度にのったものを”カルシュックメゼ”という。チーズやヨーグルト系など乳製品が多い。 マントウは中国の水ギョーザがシルクロードをわたってきたもの。トルコに来ると小さくなる。これがイタリアに渡りラビオリになったのだろう。ヨーグルトやトマトソースをかけて食べる。北のロシアにも同じようなロシア料理があった。
”ギョズレメ”は羊のひき肉やチーズを小麦粉の薄皮ではさんでで焼いた。中国の煎餅(jianbin)や韓国のパジョンを思い出す。写真をとって見ていたらタダでくれた。 ギョズレメの奇岩郡の夕日。何千年もつもってきた地層が何層にも見える。壮大なスケールがグランドキャニオンのよう。