食遊記2007中東編


古都エスファハーン・イランの真珠


 イランの街では一番伝統があり美しく「イランの真珠」とたとえられる世界遺産の古都。日本で言えば京都ですね。1597年サファビー朝のアッバース一世がここを首都に決め都市設計をしました。特に彼のすばらしいのはエマーム広場という中心地に王宮やモスクなど見どころを全て集めてくれたところです。寺が点在する京都やアンコールワット郡に比べて全て1キロ範囲歩きで行けます。観光客として大感謝。
 中世、ヨーロッパなど各地から訪れた商人達はこのエマーム広場を見て感嘆し、そこから「エスファハーンは世界の半分」という言葉が生まれたようです。それも大げさですが、それぐらいサファビー朝の力は強かったのでしょう。
 エスファハーンの街を流れるザーヤンデ川には17世紀からのレンガ造りの美しい橋がいくつかあります。その橋の下のチャイハネも有名です。夕方川の流れを見て、涼みながらチャイが飲めます。

宮殿の前の公園は市民の憩いの場。日中は多くの人が昼寝をしている 公園には噴水と水路が張り巡らされていた。乾燥して日差しの強い地方ではまさにオアシス
マスジェテ・エマーム(エマム寺院)はサファビー朝時代の寺院建設の最高傑作。正面の大門をくぐると中央礼拝堂が見えてきて圧倒されるという二重構造になっている。 中央礼拝堂の壁のタイル
エマム広場の東にある伝統的チャイハーネには盾や斧など骨董品が所狭しと飾られ、地元民でにぎわう。横一列に並んで水パイプを吸っている姿に一瞬圧倒されるかも。 伝統チャイハネ屋の簡単な昼の”アーブグーシェト”豆をつぶしたペーストがついてきた。これもスープの中に入れてつぶしながら食べる。
エスファハーン風”アーブグーシェト”ヨーグルトとオリーブオイルがかかっている。ジャガイモのペーストが入っていた。地方や店によって材料や味が少しづつ違うことに気づいた ここの名物料理”ベリョーニ”は羊のミンチ肉をハンバーグ状にして焼いたものをゴマパンに包んで食べる。肉が柔らかく不思議な食感。昼に庶民の食堂で食べることができる。
エスファハーンを流れるザーヤンデ川には伝統的な橋が何本かかかっている。その下のチャイハーネは名物。
暑い日中、川のせせらぎを聞いて涼みながらチャイが飲める。
川を見ながら飲むチャイ。柵が無いので川に落ちないように注意が必要。角砂糖を口に入れてゆっくり溶かしながら飲む。
野外、屋上のチャイハネ屋 水パイプを楽しんでいる パイ菓子風のパン。蜂蜜はかかっていないため食べやすい。チャイのポットや水タバコにはよく”ナーセロディーン王”の絵柄が描かれている。19世紀半ばの最も古き良き時代として回顧される。
ナッツやドライフルーツなどのつまみ屋。酒がないためにこういうチャイのお供が発展したのだろう。つるしてあるのは薄くのばしたカラメル。割ってチャイと共に食べる。 黄色い色がついた砂糖。チャイと一緒になめる。頭痛にきくとか


イラン料理について
料理はトルコとインド料理を足して割ったような感じです。地理的にもまさに間なのですが。香辛料を使いますが、インド料理ほど辛くなく、ナンのようなパンが主食です。トルコ料理のような羊や牛、鶏の焼肉ケバブもあります。代表的な料理にアーブグーシェトというナンとスープと豆を混ぜて棒でついてつぶしながら食べる不思議な料理もあります。旅の途中硬くなったナンをスープでやわらかく温かくして食べる工夫ではないかと思います。シルクロードを通って中国の西安でもムスリムの食事に羊のスープに硬くなったマントウをふやかして食べる料理がありました。つながっていますねアジア大陸は。

廿日市国際交流協会誌ブロッサム連載記事 2007年9月号

イラン・微笑の人々とチャイハネ
 その写真の中の人々は人懐っこい様子で微笑んでいた。こんな笑顔を見せる人達が住んでいる場所が危ないわけがない。「いつかこの国に行ってみたい。」強く思った。廿日市国際交流協会ボランティアの古くからの友人である辻夫妻がイラン展をさくらぴあギャラリーで開いた。そのとき私はイランについては何も知らなかった。ムスリム原理主義の国、イラン・イラク戦争と結びついて何か危なそうな国としか思っていなかった。実際にこの目で見て確かめてみたいと思い、トルコからバスに乗り2週間かけて国境を越えてイランに辿り着いた。
 イランに入ると文字はミミズのようなアラブ文字、言葉はペルシア語、田舎では英語が通じない。最初かなり困った。しかし、ここはさすがアラブの国、コーランに「貧しい者と旅人にはザカート(施し)をせよ」と書いてあるように、旅人に非常に親切である。どこに行っても片言の英語ができる人が現れ、助けてくれるのである。治安も良く、荷物を安心して置いておけるし、夜遅くまで公園や街を歩いて観光することができる。はっきり言ってヨーロッパの大都市より安全である。
 イランでは子供を除き100%女性がスカーフをつけている。観光客も飛行機を降りるときから現地の習慣を尊重してスカーフをつけなくてはならない。宗教的な意味だけではなく日差しや砂埃が強いのでたしかに必需品である。スカーフの色にも流行があったり、若い女性は前髪や目に特徴をつけたりとおしゃれ感覚が見え隠れする。酒類も法律で禁止され全く持ち込めない。最初は酒を飲めるバーが無いのは物足りない感じがしていたが、やはり別の楽しみ方があったのである。それはイランの社交場であり、憩いの場であるチャイハーネ(お茶屋)である。そこではチャイを飲みながら水タバコ(ガリヤーン)を吸う。そして見ず知らずの隣の人と会話を楽しむ。シャイな日本人でも、だいたい隣に座った現地人が片言の英語でしゃべりかけてくれる。そして殆どの人が、困ったらうちに電話をかけてくれとか、時間があったらうちに遊びにきてくれと言ってくれ、電話と住所をくれた。日本で、言葉も通じない外国人がいたとして、ここまで私達は親切にできるだろうか。
エスファハーンという街を訪れた。「イランの真珠」とたとえられる世界遺産の古都。日本で言えば京都である。中世、ヨーロッパなど各地から訪れた商人達はここの中心地であるエマーム広場を見て感嘆し、そこから「エスファハーンは世界の半分」という言葉が生まれた。エスファハーンの街を流れるザーヤンデ川には17世紀からのレンガ造りの美しい橋がいくつかあり、その下のチャイハネも有名だ。夕方川の流れを横に見て涼みながらチャイが飲める。また豪華なチャイハネではペルシア絨毯の上に靴を脱いであがり(ここがアジア的)、伝統音楽を聴きながらくつろいでいるとまるで中世にタイムスリップしたような気がする。
さて、イランの料理だが、地理的にもそうであるが、トルコとインド料理を足して割ったような感じである。香辛料を使うが、インド料理ほど辛くない。トルコ料理のような羊や牛、鶏の焼肉ケバブもあり、主食であるナンに挟んで食べる。代表的な料理にアーブグーシェトというナンとスープと豆を混ぜて棒でついてつぶしながら食べるものがある。旅の途中硬くなったナンをスープでやわらかく温かく食べる工夫ではないかと思う。シルクロードを通って中国の西安でもムスリムの食事に羊のスープに硬くなったマントウをふやかして食べる料理があった。やはりつながっていますね食のシルクロードは。お茶にしても、トルコもロシアもインドもチャイ、中国も茶(cha)、日本語でも茶(チャ)。欧米に入るとティーになる。やはり中東も同じアジアの仲間である。