食遊記2007中東編


シーラーズ・砂漠のオアシス

 イランのハイライトの一つ世界遺産にもなったアケメネス朝ペルシアの遺跡ペルセポリスにアクセスするための街です。大学があるので学生が多く英語をしゃべれる人も多く、砂漠に近いので気候も暖かく陽気な感じがします。この街にも美しい公園や、詩人や偉人が眠る廟と庭園が点在しているのですが、そこに洞窟のチャイハネや展望台になっているチャイハネなどすばらしい店があるんですね。そこらで一服水タバコをやりながらゆっくり観光します。こんなに刺すような強い日差しの中でセコセコ観光するのは自殺行為です。地元の人も朝か、夕方くらいにしか出てきません。商店も閉まっています。日中は木陰でチャイを飲んで雑談か昼寝をしている人を見かけます。このゆったりモードいいですね。イスラムの世界には発展することを否とする考えもあるようです。経済発展と効率ばかり求める先進諸国と相容れないのも解ります。日本から見るとお金は無くとも彼らのほうがよっぽど幸せに思えます。

街の入り口にあるコーラン門の上にはかつてコーランが収められていた。行き交う人々の旅の安全を祈った。 シーラーズにはあちこちにおしゃれなチャイハーネ(喫茶)がある。洞窟チャイハネや展望台チャイハネ、公園内など。それらで休憩しながらイランの人とチャイを片手に話をしながら回るのが良い。ここでは急いではいけない。
街の中心にあるキャリームハーン城塞内は緑あふれるオアシスのよう。水をやって庭を管理するのも大変だろう 城の中のハマム(蒸し風呂)跡、中は湿度が高い。このように浴槽があるハマムもあが、だいたいは蒸し風呂である。お湯は蛇口から桶でくんで自分でかける。
シーラーズ大学横のエラム庭園は夕方になると学生があふれる。5月はバラ園が有名。 エラム庭園内の美しいチャイハーネでお茶をしていたら話しかけてきて仲良くなった家族。家族連れや子供なら女性の写真をとったり話しかけることはできる。普通独身女性に気楽に話しかけてはいけない。
バザーレ・ノウは南北2kmと長い。大きさとしてはそれほど大きくはない。 古都のバザールだけあって骨董品もそろう。
スパイス屋。中心にあるイラン風カレー粉は数種類の色がきれいにデコレートされて見せられている。買う分だけすくいとり混ぜてくれる。インドほど辛くはない。 ナッツやキャラメルを混ぜたお菓子。切り売りをしてくれる。
”ホレシュテ・バーデムジャーン”はナスの煮込み。皮をとり、とろとろになるまで煮込まれたナスとトマトの相性がまた良い。 日没直後のお祈りには特に沢山人が集まってくる。かつて太陽信仰と区別するため、日の出前と日没後というふうにずらしてお祈りの時間にしたとか。日没後は涼しいので良いが、日の出前は眠くて困らないのだろうか。

ペルセポリス・中東3代世界遺産遺跡の一つ

 周辺の遺跡もタクシーツアーで半日で行けます。前日の夜にツアー会社に飛び込んだのに、簡単に手配できました。ガイド、車、入場料込み1000円くらいでした。2,3時間で充分です。砂漠の中にあるので長時間いると日射病で倒れます。売店もそれなりに充実しており、値段も手ごろです。歴史の教科書に出てきた場所にこうしてタクシーで簡単に行けて、こうして立っているのは不思議な気分です。イラン人の学生ガイドが英語で説明してくれたのでよく解りました。

ナグジェロスタムは4つの巨大な王の墓石。ダレイオス1世の墓以外は諸説がある。ダレイオス大王はその政治手腕にて中央集権と道路と経済を整備しおおいに帝国を繁栄させた。征服民族には固有文化を容認し文化交流を計ったといわれている。 騎馬戦勝図は東ローマとの戦いに勝利した記念に作られた。東ローマ帝国皇帝を捕虜にしたときの図も残されている
ペルセポリスは紀元前512年頃ダレイオス1世により作り始められた。多くの民族が馬や宝石などを謙譲物として訪れたことがレリーフからわかる。 紀元前331にアレキサンダーにより陥落、火が放たれ宮殿は廃墟となった。後にやってきたアラブ人によって像が破壊された。現在は世界遺産として保護されている。