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任国外旅行 中米5カ国食事情 


ホンジュラス、エルサル、ニカラグア、コスタリカ、パナマ
この報告書は食品加工隊員羽熊広太が2001年1月4日〜1月24日、計3週間の任国外旅行にて中米5カ国の食文化をグアテマラと対比しつつ書いたものである。今回の旅行にあたり短期間において効率よく見るため観光をほぼ無くし、ポイントを首都近郊の隊員活動訪問、市場の調査、代表的食文化調査に絞った。しかし短期旅行で見られる事も表面的な事、主観的な感想でしかない事、誤りも多数あるであろう事を最初にお詫びしておきたい2001年2月


ホンジュラス


ホンジュラスは中米の内戦時代その戦火を避けることができた為、比較的平和で陽気な国と言える。かつて他の中米諸国と同じく独裁的な軍事政権の繰り返しにより国民は貧困に陥り、貧富格差は広がった。現在でも都市部と地方のそれは歴然としている。かつてアメリカ企業が高山採掘に乗り出し、18世紀からはフルーツ会社がカリブ海沿岸に巨大なバナナプランテーションを築いた。その生産、運搬、輸出のため道路、電話、発電所、電力会社まで作った。ホンジュラスのインフラは米企業により創られたと言ってもいい。
 首都のテグシガルパはその名「深い渕」のとうり盆地の中にある。あちこちの壁面に所狭しと家を乱立しているようだ。規模の小ささ、未発達さからこれが長年平和を保ってきた国の首都かと目を疑いたくなる。現在飽和状態を解消するため第2首都のサンペドロスーラに機能を移転しているらしい。ホンジュラスの人口分布は95%がメスチーソ、カリブ海岸に住むミスキート先住民族からかつて黒人奴隷として連れてこられた子孫のガリフナ族である。
主な産業として農林、水産、バナナ、コーヒー、綿花、砂糖、植物油がある。
食事情
主食は同じくトルティージャである。そこにマルマオンを添えることがある。もとはアラブ地域のクスクスのような小さな球形のもちもちしたパスタだ。煮ただけのものや細かい野菜を加えてパスタ料理にして出されることもある。食事には酢漬けが付いてくる、市場などで玉ねぎやチリなどが赤色の液に漬かってビニールにボールの様に入れられて売られている。ユカを揚げたものも良く食べられる。サツマイモの揚げたものよりサクサクしており美味。茹でたユカにチュチート(豚の皮揚げ)とキャベツの酢漬けを載せた料理も有名、最初は美味しいが、ユカが淡白で腹に溜まるため途中で食べ飽きてくる。ピンチョという巨大な串に様々な肉、野菜を刺して炭火で焼く料理も有名。
ホンジュラス最大コマヤグエラ地区のサンイシドロ市場を覗くと様々な食材があった。魚介類、亀の卵から豚肉類。モツ類が意外と豊富であった。巨大なチーズ(非醗酵形)を見ると高原牧草地を利用した乳生産が豊富なことを伺える。塩味が薄いクワハードタイプであった。また生きているイグアナ、蛇の乾燥物。ここに3大スナックがある。チーズ味ベーグルのようなロスキーヤ、硬いので保存が利き、コーヒーなどに漬けて食べる。チーズを包み込んだエンパナダのようなケサディア。葉っぱ型のクッキーの上にカラメルがついているオハンドラ。これらのスナックは他の国でもあったが形が小さかったり全く別のものであったりした。隣同士の国であるのに同じ名前の食べ物に違いが産まれそれがその国の一般になるところが興味深い。
酒類はあっさりラガー系のPort royalやnacional。苦さとモルトの味が利いているSalva vida, Pilsner系のImperialなどがある。カフェのリコールやオレンジのリコールなども造っている。ここの労働者階級の飲むユスカランというロンの蒸留工場を見学した。丘の上にある静かな街の一角にその工場はあった。ビンは完全リサイクル、ラベル剥がしから洗浄、自然乾燥まで全て手作業。パネラ(黒砂糖の塊)を溶かし酵母を加え醗酵後ドイツ製の蒸留機により70度まで急蒸留、水で45度に希釈、機会によりビン詰、手により栓をしてラベルも手で張っていた。近代的とは言えない施設であるが最低限必要な設備を手工業的手段で行っているためこれだけ低コストのロンが造れるのだろう。フロールデカーニャやヴェナドなどの大手会社も初期はこのようにしていたのだろうと想像できた。原材料の向上と熟成を行ってプレミアムを一本くらい造っても面白いかもしれない 
最後にガルフナ族について述べておきたい。彼らは16世紀からアフリカ大陸よりカリブ沖にサトウキビやコーヒー栽培に連れてこられた部族である。地霊信仰のブードゥー教を持ち、パーカッションや亀の甲羅を使って早い小刻みのステップを踏むプンタ音楽を持つ。彼らは非常に仲間を大切にするようだ。また旅行者に対しても友好的である。イダビーニャ、ヌマダ(元気か、兄弟)と話し掛けてくる。
沿岸部に住むため魚の揚げたものやココナッツスープで煮た料理がある米が主食になる。蟹や魚をココナッツとバナナ、香味野菜で煮込んだタパードはその代表。またココナッツを使った砂糖菓子、パンなどもあった。(グアテマラ東部リビングストンにて)


エルサルバドル 


エルサルバドル(救世主という意味)といえば独裁、内戦、地震と治安の悪い国しかイメージが無いが、実際首都を見るとその発展ぶり、国民の勤勉さに驚かされた。その国土の小ささや農産物の少なさなど不利な点を返上し工業国になろうとしている。実際様々な食品加工が生産され中米近郊の国に輸出されている。何か日本の戦後に似ている気がする。1月末の地震といいエルサルに本当の救世主が訪れるのはいつのことだろう。
人口分布;メスチーソ84%白人10% 主要農産物;コーヒー、砂糖、綿花、エビ
食事情
まずププサを挙げなければならない。トルティージャと同じトウモロコシの粉を水で練って薄く延ばし中にフリホーレスやチーズ、肉を入れ挟んで鉄板の上で焼く。中のチーズが溶けてこれが同じマイスの生地かと思えるほど美味しくなる。生地に米の粉を混ぜたものはモチモチしており焼餅のような味がする、醤油で食べたい。ププサは通常キャベツの酢漬けとトマトサルサを合わせて食べる。現地人いわく全ての店のププサが美味いわけではない、また冷めたププサはだめらしい。ビールはピルスナーという少しビター&ドライビールが最も有名。スナックはコロン(ホンジュラスでオハンドラ)やスフレのようなチーズ味のケーキ、ケサディアがあった。隣同士の国なのに名が変わるのが興味深い。
工業地帯BIMBOパン本社工場訪問。アポが無いため中までは見ることができなかったが、外回り、販売店に入ることができた。BIMBOといえばお菓子から生食パンやトスタードなどが有名、中米全地域に販売網を持っている。日本の山崎食パンなどに比べるとソフトさに欠けるが、その保存効果は評価できる、最大限まで防黴剤を入れているのではないだろうか。
エルサル農業高校ENA見学
農業隊員が6名ほど入っているところである、グアテマラのENCAにあたる所で設備などは非常に良い。乳牛も60頭ほどでサイロ、自働搾乳機のある設備で飼われている。牛の解体設備から大型の保存庫、肉のせん断機からチョッパー、調理台、充填機、薫煙機まであった。見学時には地元の人たちが販売用に作業していた。また乳の保存設備チーズの加工場もあった。非醗酵形のチーズをいくつか試食、塩分濃度が少し高かった。また大型のチーズ薫煙専用機も初めて見た。これらの設備は日本や欧州からの援助などで入ったらしいがやはりあまり使用していないためか老朽化し放置されているものもあった。やはり乳量の限られた実習系の場所に乳加工機械を入れるとランニングコストや維持が大変だと改めて実感した。ENAにはまたレモンやマンゴーなどの果樹も豊富にあった。農産物は豊富である。新規着任した食品加工の三ツ井隊員の活躍に期待したい。こちらからもEmailなどでの技術援助を考えている。佐々木隊員(花卉)の花畑には各種の花が栽培されていた。地元への苗出荷も考えているらしい。ここの生徒達も真面目で活動も順調らしい。ここは受け入れ体制も整っており、隊員が自由に力を発揮できる任地であるのではないかと感じた。
エルサル一般にしても隊員が良く働いている気がした。隊員曰く仕事をせずに旅行をしたり連絡所に溜まってる隊員はいず、殆どが任地にいるとか。国土が狭い観光地が無い、また連絡所宿泊にそれなりの理由(休暇は不可)と事務所の許可がいる事などが影響しているらしい。少し厳しい環境ではあるがその方がより元の協力隊精神には近づけているのではないかと感じた。
今度の地震で隊員の無事に安堵すると共に無くなられたエルサルの人達の冥福と今後の普及と発展を心から願います。


ニカラグア


ニカラグアは他の中米諸国と比べて一種独特の共産国的な雰囲気を醸し出している。この国も他の中米諸国と同じく独裁政権の繰り返しであったが、19世紀に反政府ゲリラ活動をした英雄サンディーノの理想を引き継いで結成されたサンディーノ政権が今でもかなりの力を持っているからである。1972年の大地震の後、サンディニスタ民族解放戦線FSLNが蜂起、ソモサ独裁政権を追放するが、その後も米レーガン政権の支援を受けた反FSLN軍との激戦が国境で繰り返され、国は貧困を極めた。1990年反FSLN停戦、日本やアメリカの援助も再開された。現在民衆の間でFSLN支持が高く各地でサンディーノ他、革命の英雄達の肖像画が見られた。グラナダの市長もFSLNであった。今年末に大統領選挙があるらしいが、共産路線では世界に取り残されることを充分承知のニカの人々がどういう選択をするか楽しみである。
現在のニカラグアは中米最大の国土の広さや人口の少なさから閑散としている雰囲気を受ける。首都は王宮中心部よりマルサケサダ地区や市場周辺の方が活気があった。
人口分布:メスチーソ70%白人17%黒人9%殆ど先住民やその文化は残っていないようだ。
主な産業:綿花、サトウキビ、バナナ、米、タバコ、マイス、フリホーレス。
食事情
ニカラグアといえばまず毎朝のガジョピントだろう。茹でたフリホーレスを刻んだニンニク、玉ねぎと米とで炒めた炒飯だ。一見赤飯のように見える。入り卵やプラタノフリートなどを寄せて出す。またソパデモンドンゴは牛のセンマイやはちのすなどの内臓を玉ねぎ、マイスの粉、アチョテ、チレにプラタノやユカなどの具を入れて煮込んだスープ、ゼラチン質が溶け出してかなりボリュームがある。ホンジュラスにもある。また豚の腸に血と米を詰めたモロンガや豚肉入りタマールのナカタマールなど独特な料理がある。グラナダの公園周りにはブロック作りの固定式屋台があり、ビゴロンと呼ばれるユカの上にチュチートを乗せたものが出されていた。バオと呼ばれる料理もプラタノやユカや牛肉を積み重ねて葉で包んで蒸したもの、栄養価は高そうだ。市場では生きて売られているイグアナが目についた。料金も1匹3$ほどとそれほど高くもない。アルマジロも売られていて味は少し野性味のある鶏肉という感じだが、焼いて裂いたものにレモンをかけると美味。首都には中米最大といわれるオリエンタル市場がある。一度入ると間違いなく迷ってしまうほどの大きさだ。全ての農産物が集まっている。中でも牛の脳みそや眼球部分だけが売られているのが目についた。スープ料理に使うそうだ。モンドンゴといい牛を使い切る調理技術には関心させられる。一見ゲテモノと思われる料理が多いのは食糧難に陥った内戦時代の知恵の名残だろうか?
 あと東部カリブ海の黒人文化が混在するブルーフィールズにはココナッツを使って魚を煮たスープや牛のあばら骨燻製のココナッツクリーム煮などがある。
ビールは少し苦めで重い料理に合うビクトリア,あっさりのトーニャ、水のように飲めるプレミアムなど。
ロン工場フロールデカーニャ見学
 レオンからバスで30分強の地方の村にある名実共に中米一と言えるロン会社だ。熟成技術も非常に優れていて5年物6$、7年物7$、12年物10$、21年物30$となっている。熟成されたものは濃い色と高級なウイスキーのような香と甘味を持つ。工場内は予約が無かったためビンの選定、瓶詰め打栓、出荷工程しか見せてもらえることができなかったが、従業員のユニフォーム着用やビンを光に通し異物の混入を確かめるところ、また全ての工程をライン化させているところなど(日本の中規模酒造会社では当然の話なのだが)さすが大会社だと思えた。中米各国に輸出される製品の貯蔵庫もそれなりの規模があった。産業の弱いニカにおいてこのような優良企業が育つことを応援したい。


コスタリカ


この国は中米の優等生と言えるだろう。中米で最も安定した平和国家。それを実現させるためには長年の努力があった。19世紀中ばに造られた優れた民主主義憲法も1世紀以上も守り、19世紀後半には自由民主主義選挙、その後も反民主主義的な政権、クーデターを許さなかった。それらの政策が経済や教育にも反映され70年代には中米トップに踊り出た。また83年先の憲法に武装放棄や永久的、積極的中立宣言を加えた。その後アリエス大統領の元それは実行され、中米各国へ和平を呼びかけた。89年にはノーベル平和賞を受賞している。
農産生産の少なさや対外責務の多さからまだ非援助国ではあるが教育の高さインフラの整備、その安定さ自然公園などの観光資源などからして今後さらに飛躍する国であることは確実だろう。
人口分布:白人と白人系メスチーソ95% 他の中米に比べ圧倒的に白人系が目立つ
産業:観光、コーヒー、バナナ、牛肉、砂糖 
食事情
調理技術、料理本などの出版物の多さや衛生状態などを見てコスタリカの料理業界は洗練されていると言えよう。だからと言って一番美味いとは結びつかない。先進国アメリカで途上国のベトナムやタイ料理がもてはやされるように。またコスタリカでは移民の多さから欧州を初めとした各国の料理店を低価格で楽しめるのが魅力。ここに入ると主食に米が入る。ガテマラの様にトルティージャが必ずなければならないということはない。典型的な料理にカサードがある。肉か鳥料理1品に米、野菜、フリホーレスを加えたものでいわゆる昼の定食。ポゾールというのはガルバンソ豆が入ったコンソメ味のスープあっさりた前菜用。コスタリカが中米のスイスと呼ばれる所以は首都の町並みを見ただけでは分らない。地方に車を走らせるとその丘に開拓され区画整理された牧場、果樹園、畑を見ると理解できる。それは決定的に他の中米諸国の山際を小規模開拓し、マイスとフリホーレスばかり耕作するやりかたと異なっていた。乳生産量も多いのかチーズはクアハードと呼ばれる、固めただけのフレッシュタイプからテュリアルバという裂けるチーズが球状に丸めてあるものがあった。またここの乳製品会社ドスピーノスの殺菌牛乳は中米で有名であるロンに卵と牛乳を混ぜたロンポポ(これの元となったのは米のカクテルかミルクシェイクだろうか?)もここの製品になっている。市場も中米各国とは違っていた。しいていうならば欧州のそれに近い気がした。品物を並べる台があり整理されており、値段が付いている。日曜に開かれる青空市場には付いていなかったがほぼそこも固定相場制であった。市場には里芋、山芋系の種類が豊富な気がした。スープにするらしい。果物も豊富であった。パッションフルーツからウバまであった。その他にも東南アジアで見た生産の少ないフルーツ類まであった。ビールはあっさりピルスネン、最も有名なインペリアル、ホップの苦味が利いて重いババリアなど。飲み物といってもまず挙げたいのがコーヒーだろう。トレスリオやオロシ、テュリアルバなどの各地の地名が着いており厳選され保存状態もいい。焙煎後の保存と消費者への供給の速さはコーヒーの命でもある。また新聞の特集欄にはコーヒーの美味い店一欄などもありそのこだわり様が知れる。特にコスタリカ人の愛して止まない劇場内のカフェは雰囲気がいい。芸術やカフェをゆっくり楽しめる文化とゆとりがこの国にはある。また質の良いコーヒーリキュールの生産も多い。高くてあまり売られていないがコーヒーをチョコでコーティングしたお菓子などもある。
食糧省および冷凍食品加工工場見学
 同大学卒、同職種の古木シンヤ隊員の職場を見学。彼はもと醸造学研究室所属という特色を生かし、日本酒の試作、企業や研究機関へのアピールなどを積極的にやっていた。今後の活動が期待される。
彼の同僚の仕事で食品工場の衛生検査に付き合う。中規模の冷凍加工工場であったが、完全閉鎖型工場、職員の衛生指導なども行き届いていた。米国の衛生企画HACCPにももう少しで到達するぐらいのレベルであった。ガテマラはあと6年ぐらいでは追いつけないであろう。
食糧省でも特に企業向けのコンサルタントなどをやっており、職場の人間も院卒や高経験者も多く中米でもトップレベルと言えよう。このような技術レベルの高い国に専門化ではなく隊員を派遣するのは厳しいのではないかと感じた。ピースコーが撤退した理由もわかる気がする。しかし今後、日本語教師や音楽や料理などの文化方面での協力、交流がより盛んになればと思った。それだけの余裕がある国だ。


パナマ


 まずこの国の名を聞くと連想されるのが運河であろう。もちろん運河以外にも旧市街の古い町並み、博物館類、先住民族の残るサンブラス諸島などがあるが、この国は運河に始まり昔も今もこの国の歴史、経済に大きく影響してきた。16世紀、コロンブスが到達してから植民地化、南米インカ帝国の財宝が太平洋側パナマシティに陸揚げ、陸路でカリブ海に運ばれスペインに運ばれた。19世紀フランス人のレセップスは運河設計、建設にかかったが、工事は難航、資金は尽きた。そこを米国が運河の権利、パナマ国の独立を助け土地の権利までも得て工事を完了、その富を独占し続けた。そしてパナマは穏民族主義路線の中、返還運動を続けてきた政策も実り20世紀末返還された。パナマシティを見る限りその人口構成の多様さ、中国人華僑の多さ、ビルの連立群、まるで中米のシンガポールのようだ。そこも状況的に似かよっており世界の重要な港の一つであったため、各国の利害により翻弄された歴史がある。
 人口分布:メスチソ65%黒人13%白人11%クナなどの先住民10%統計には出てないが中国系架橋その他南米移民、不法入国者もかなりの数と思える。
主な産業:海運、漁業、金融、観光、鉄鋼など他の中米の農産中心産業とは確実に違う。
食事情
ここまでくると完全に米食文化になる。ここにもトルティージャと呼ばれるものがあるが他の中米諸国とは異なる。マイスを半潰しにしたものをコロッケのようにして挙げたもので揚げたては美味いが冷めるとまずい。主食よりもスナックとしてたまに食べられる程度。またカリマニョーラはユカの生地で肉を包んで挙げたものモチモチしていて美味。ここのユカは粘性が高い品種だと感じた。小麦粉に砂糖、塩、水で練った生地を挙げたスナックがオハドラ、パナマ産ワンタン揚げ。マイスの生地で作って肉を詰めたエンパナダもあった。ガテマラでは甘いポストレしかない。パナマの名物のスープはサンコーチョ、薄めの鶏のシチューにユカやプラタノが入っている。あっさりだが具が多くボリュームはあり。食事に唐辛子をマッシュポテトで和らげたチリペーストがついていたが現地パナマ人はほとんど辛い物がダメならしい。グアテマラでも料理に直接入っているものは無く後からかけるものであったが、暑い地域において辛味成分が全くダメな国民も珍しい。
一般にはパナマの伝統的な料理というよりも各国のミックスした料理が食べられているようだ。特に浸透しているのは中華料理だろう。旧市街の近くには中米唯一の中華街がある。入り口には立派な門も構えられていて、街の中には中華食材屋、中華料理店、庶民の飲茶屋、生鮮市場まであり全てが揃う。街の中ではスペイン語、広東語が入り混じる。貿易港として栄え華僑が大きく影響しているパナマを表している。中米に移住しても中、短期で本国に引き上げる日本人に比べて、ファミリーで移住しそこで商売を始め成功し、何世代も続かせる中国人とはそもそも大陸北方放牧移動型民族と農耕定住型民族との違いであろうか。華僑の人口の割合以上に裏でこの国の経済に与える影響は多大だ。そのうちスエズ運河も買い取るのではないかとの話も出ている。シンガポールの様に一つぐらい中南米に華僑の国ができても面白いのではないか。
中華街の前には魚市場が構えている。中国人が特に利用するからそこに立地しているのだろうか?建物はコンクリートの立方体型で各売り場も区画されており非常に衛生的近代的だ。日本でもこれだけの所はなかなかない。昼前でも貝類からエビ、各種魚類(数えられないくらい相当の種類が上がる)が売られている。売り台の裏には調理台もありその場で好きなようにさばいてくれる。日本に比べ包丁などはいいものを使っておらず、さばき方も少し雑に思えたが、その早い手さばきは慣れた技であった。刻んだ魚介類に香辛野菜とレモンを混ぜただけの簡単なセビッチェも数種類ほどその場でコップに入れて食べることができる。これほどの魚消費量を持つのもサンブラス諸島を始めとするココナッツと魚食の文化があった以上に中国食文化が強く影響していると思える。米国、豪州など魚食習慣の無い所にそれを持ち込んだのは地中海のギリシャ、イタリア人、発展させたのは中国人、そして日本人であった。ぜひ魚食の習慣の少ないガテマラの沿岸部にも入ってきてほしいものだ。
 ビールはあっさりでほのかな甘さのあるアトラス(航海地図という意味)や少し苦味の入ったあっさり系のビールパナマ、苦味系のバルボアである。また貿易港故に世界からのワインも比較的安く入ってくる。南米、チリ、アルゼンチンはもちろんフランスワインも豊富。もちろんそのつまみの醗酵形チーズ類も多種輸入されていた。羨ましい限りである。

最後に


今回の任国外旅行で強く感じたのは、中米とひとくくりにされてしまうところだが、各国の少なからずの共通点と多くの相違点を思い知らされた。食文化にしても各国で同じものが異名で呼ばれ、また同名で別の食べ物もあった。コスタリカ以南から主食も米へと変わり、海岸部ではアフリカ系のココナッツと魚食文化があった。太平洋岸でも魚食習慣のある国もあれば全くない国もあり、貧しい山間部では野生動物や内臓食の習慣があった。そこには先住民族の文化なども少なからず影響していた。アジアほどの民族の交わりやアメリカのような多移民社会を作っているわけではないが、自然発生的な多様性であろう。もちろん食のみならず政治、衣、住文化それぞれがそうであった。これらを見聞したことは大いに自分の活動に生かせる。様々なアイディアは過去の記憶のふとした所から引き出された事を元にして創造されることが多い。また中米地域の食事情を知ることはそれが地域的にも近いグアテマラ国、人において充分に通用するということだ。遠く離れた先進した技術より近くのちょっとした成功例、生産物を発掘、導入した方が上手くいくのはごく自然である。