France フランス

Paris パリ

 フランスの朝食はフランスパンとカフェオレからはじまる。カフェオレもカフェオレボールという飾り気も無い大きなお椀にいれて、それにパンをつけて食べるのだ。パリの若者は昼なども軽食ですませる人が多い*3。


左、セーヌ川のほとり、パリで私の一番好きな場所のひとつ、ここをぶらぶらしたり、たらふく飲んで食べて、昼寝をしたり。夜のセーヌ川から見る夜景は最高。

フランスではお菓子も、バターや砂糖をたっぷり使ったお菓子が出てくる。健康にはあまりいいとはいえないが、そこがラテン気質なのか、健康や栄養うんぬんより食や時間を楽しむことを一番としている。だがその反省のなかからヌーベルキュイジーヌが作られた。*1
左、あるスーパーマーケットのフランスチーズの専門コーナー。日本のチーズ専門店以上に品数が豊富。さすがにこだわりがうかがえる。

チーズ専門コーナーやチーズ屋にはアドバイザーがいて、臭いのきついものとか硬質のものとか、自分の好みを言うと、これはどう、これはどうと色々な種類を出してきてくれる。1kgから100gまで好きに買うことができる。ワインの専門店と同じく、会話を楽しみ、説明を受けて勉強していくのもチーズ専門店の楽しみのひとつである。
左、あるユダヤ人街のレストランの壁にはワインがびっしりと、地震があったら全部落ちてくるのでは?と余計な心配をする。持ち帰りもできるしその場で飲むこともできる、気楽なビストロ。ちなみに他のヨーロッパと違い、フランスでは水は無料、水道水だろうが問題無く飲めた。
右、フォアグラの蒸したもの。焼いたものよりも柔らかく、まさにふぐの白子の煮物のよう。フランス料理の代名詞のように言われるフォアグラも、庶民はクリスマスや特別の時に少し食べるくらいである。トリュフにしろ同じである。日本人がしょっちゅうマツタケをたべているわけではないのと同じように。


Lyon リヨン

 食通の町リヨンと呼ばれる。しかしその料理は宮廷料理の流れというより土地の素材そのものを生かす庶民の料理を感じさせる。フランス料理の歴史は長いが、皆が高価な料理を食べているわけではない*3。観光客が好きなミシェランの星付レストランなどは、フランス人庶民はまず行けない。一生に一度のものだ。普段はビストロの定食か、家で野菜や肉の煮込みなど質素なものを食べている。普段は地方に行けば、高級レストランどころか、パリなんて一度も行ったことがないというお年寄りもいる。

リヨンの山の上にある大聖堂。そのフレスコ画がフランスの歴史を現しておりすばらしかった。この山の中腹にあるリヨンユースホステルに滞在していたが、テラスからの眺めがすばらしく、毎晩ワインとチーズを買って夜景を見ながらパーティーをしていた。
右、リヨン名物"le gras double a la Lyonese"牛の蜂の巣のトマト煮込み。少し独特の臭みがあるが、田舎料理の味がして良い。

クレープ屋の前で、目の前でリクエストに応じてさっとクレープを焼いてくれる。このおマドモワゼルのように、パンをむき出しや素手で持ち歩き、食べ歩くフランス人は多い。衛生的とは言いかねる。さすがの日本人もおにぎりを素手で持ち歩きあちらこちらで食べたりはしないのに。
甘いクレープは人気のデザート。そば粉入りのクレープは”Galette”でチーズなどが入り、どちらかと言えば一品料理である。

左、リヨンの日曜市、川沿いに魚介類が並んでいる。その場でオイスターを割ってくれる。後ろのテーブルではワインを飲みながらそれらを食べている。これが一番安くおいしい方法。昼間からだろうが、車で来てようが、気にせずにワインを飲む人々。いい国だ。
右、市場でバケットをかじっている子供。フランスはパンにはじまり、パンにおわる。パン屋は深夜からパンを作り出す。開店時の9時ころには、焼きたてのパンを待つお客が並ぶからである。フランス革命のとき"Du Pain"と人々が叫んだように。*4



南仏プロバンス


バルセロナからモンペリエール、アルル、アビヨン、マルセーユとプロバンス地方を回り、プロバンス料理、地元のワインを楽しむ。にんにく、トマト、ハーブを使った料理が特徴。照りつける太陽、恵まれた大地、そして地中海が素材を作り出し、素材を使った素朴なプロバンス料理が作られる。その料理法はバターなどをほとんど使わず、オリーブやハーブを使いアクセントをきかし、トマトやピーマンの色を使いカラフルに見せるのが特徴。料理の色は重要である。太陽の黄色と赤、地中海の透き通る青。それがゴッホを始め、多くの画家達の色彩感覚にも影響を与えた
 世界的にヒットした小説「南仏プロバンスの12ヶ月」の舞台になったのもここの一農村である。その後観光客が押し寄せ騒がしくなったので著者はアメリカに戻ったらしい。

Arle アルル

 バンゴッホを始めパリに疲れた多くの画家達の心をとらえたプロバンス地方。「田舎には人を癒す力がある(V・ゴッホ)」まさにそのようである。またロートレックがゴッホにこうも言った「南仏に行くならアルルにしろよ、あそこは美人が多いから」。多くの民族が交じり合った、エキゾチックな女性に魅了させる人も多いのでは。ドーデの小説「アルルの女」のように。

左、アルルの跳ね橋。手前に絵がある。ちょっと様子が変わっているが。この橋を見るために多くの観光客が世界各国から訪れる。町から3Km、ユースホステルから廃線の線路の上を歩けばすぐに着く。

右、同じくゴッホの書いた酒場の絵、昔も今もこのように人々は酒と料理と人々との語らいを楽しんでいる。
南仏料理にはオリーブが欠かせない。左は各種オリーブのペースト。アンチョビーのような油と塩気があり、長期保存ができる。パンにつけて食べる。
右;プロバンス名物のブラックオリーブ。大瓶につまって2ユーロ、260円。オリーブオイルももちろん安い。ワインも。


Avinion アビニオン

かつて法王庁が置かれ、第二のローマと言われ栄えた都市。今も4kmの城壁に囲まれた中に町があり、中心に巨大な法王庁宮殿がそびえたつ。

夕暮れのローヌ川、魚がうようよしていた。釣りをしている親子。今夜の夕食かな。川にかかっているのがサンベネゼ橋。1185年完成したが度重なる水害で壊された。17世紀に放棄され、今でも半分しか橋が無い。

 鹿肉のワイン煮込み、マッシュポテト付き。いかにも野性味のある田舎料理である。肉は柔らかいが独特のにおいがある。北欧ではこれにクランベリージャムをかけて食べる伝統料理があった。そのほうが酸味と甘みが増して野性味を和らげてくれる。フランスでも野生の家禽類や動物類を食べる。ヨーロッパはやはり狩猟民族。
法王庁宮殿の出口はワインセラーになっており、ここの名産ワインであるコート・デュ・ローヌの試飲ができる(有料)。私はレストランでハーフボトルを注文した。バルセロナ付近のワインのように太陽の光をいっぱい吸い込んだ、力強く辛口で、かつさっぱりしたワインにしあがっていた。
 


Marseille マルセーユ

紀元前600年、フォカイヤ人がここに港を開いていらい、ローマ帝国の支配、蛮族の侵入など、良港ゆえ多くの民族が攻防を繰り返してきた。そして多くの難民の逃げ込む場所でもあり、多くの人種を受け入れてきたコスモポリタン港である。
ただ、大都市の港であるため治安はフランスの中でも持っても悪いと言われている。

港には数え切れないほどの船が停泊している。出口のところには要塞がそびえ立つ。ここから小さな島にミニ旅行ができる。ある静かな島に行ってきたが、そこには青い海と岩場、マルセーユの喧騒から外れた別世界であった。

右、マルセーユ名物”ブイヤベース”。もともと朝に陸揚げされ、売れなかった小魚をごった煮にした安スープであった。その後改良され、今では観光客向けにとびきり新鮮な魚を使った高級スープとなっている。観光客狙いで、安い魚を使ったまがい物も多い。ブイヤベースは右の写真のように、一皿目のスープと2皿目の具に分けて出される。スープに味が染み込んで美味しいので、予算の少ないときはスープだけを注文するのが賢いやりかた。
左、マルセイユ歴史博物館。入館料は安いが、かつてフェニキア時代より地中海貿易に使われていた帆船のモデルや貿易品などがある。左は素焼きの壷一杯につまった塩漬けの魚。これと同じものをギリシアの市場でも見た。エジプトでも同じものがあるらしい。皆地中海で繋がっているのだ。
 右、プロバンス風魚のソテー。トマトやパプリカのソース。サフランライス付。まぶしいくらいの色彩の使い方がすばらしい。


*1ヌーベル・キュイジーヌについて。
フランス語で「新しい料理」を意味する。伝統的なフランス料理はあまりにも重い感じがして、高カロリーではないか、という反省から生まれた新フランス料理ともいうべきもの。1970年代から80年代にかけて大流行した。
 その特徴は、今までにない素材の組み合わせ、素材の持ち味を生かした調理法、食べやすいように少量ずつもりつける手法、目をたのしませる彩りのよい盛り付け、手間のかかった重厚なソースの代わりに小麦粉をつかわない軽いソース、などである。この考えは日本料理から大きな影響をうけているといわれる。
 しかし、価格の割に量が少ない、料理に地方の特色がでずマンネリ化しているなどと批判されるようになり、勢いは急速におとろえていった。現在フランスでは、伝統のフランス料理に回帰しており、ヌーベル・キュイジーヌを名のる料理人はいないといわれる。現在日本では、軽いフランス料理という意味でつかわれることもある。
 なお、香港発のヌーベル・シノワーズもヌーベル・キュイジーヌと同じ傾向の料理で、あっさりとしあげた中国料理を、大皿でなく1人前ずつもりつけて供するものである。

*2 フランス料理のもっとも古い料理書は中世に書かれたもので、フランス料理ははやくからヨーロッパの上質な料理の手本とされてきた。フランスワインも世界的に名高く、地域ごとに伝統がある。しかしフランス料理といってもさまざまで、安上がりな材料をつかった素朴な料理から、高価な材料と手のこんだ濃厚なソースをつかう高級料理まである。

*3フランス人の朝食は、クロワッサンcroissantsなどのパンと、コーヒーまたはホットチョコレートという軽い食事が一般的である。デジュネdejeuner(昼食)は、かつては一日のうちでもっとも大切な食事と考える人が多かったが、このところとくに都会では、昼食を軽くして、夜にたっぷりとした食事をとるようになってきた。パリでは、昼食は1時ごろ、夕食は9時以降が一般的だが、パリ以外では、もっと早い時間に食事をとる。フランス人は、ゆっくり時間をかけて食事をたのしむ習慣を大切にしている。正式の昼餐(ちゅうさん)や晩餐は2時間以上かかることもある。献立はオードブル(前菜)にはじまり、スープ、野菜をそえた魚か肉の主菜、サラダ、ソルベ(シャーベット)、デザート、チーズ、果物とつづき、コーヒーでしめくくられるのが一般的である。Microsoft(R) Encarta(R) Encyclopedia 引用

*4、1789年10月フランス革命から3ヶ月経ったころ、混乱による盗難を恐れた農夫が町に小麦を出そうとはせず、町ではパン不足が続いた。飢えた民衆はベルサイユ宮殿のルイ16世の元に”Du pain,Du pain パンをパンを!”と言って行進した。それを聞いたマリーアントワネットが「パンが無ければブリオッシュを食べれば」と言ったのは有名な話。

どりあん共同通信、連載記事「ヨーロッパ食遊記」 9月 ヨーロッパより
 ワインにチーズ、料理も芸術やファッションでも日本人、特に女性の憧れの"おフランス""花の都パリ"に行ってきた。しかしそこは私の思ったとおり、農業大国の都、昔も今も変わらない"糞の都パリ"であった。
三ツ星レストランでうんちくをたれながら飲むのが本当のワイン通ではない。ワイン造りはブドウ畑から、つまりいいワインを知る人は農民である。いいチーズも、もちろん牧畜から始まる。つまり家畜と糞と土との戦いである。良い食べ物を求めるというのは、もっと土臭く自然臭いものなのである。国際都市と言われるオランダやベルギーなどの農業国でも一歩町を出ると、この臭いがする。そしてほっとする。
特に農業国フランスのパリは昔から糞尿を利用するが、他のヨーロッパの国のように、下水施設は整っていなかった。江戸末期に日本に来た"南蛮人(ヨーロッパ人)"が日本の下水と農地の綺麗さに感激したという話は有名。当時、パリの街も、ベルサイユ宮殿ですら垂れ流し式であったらしい。今でもあちらこちらのアベニューにペットの糞が落ちている。地方の町はもっとひどい。レストランの中にまで平気で犬を入れる。フランスパンをかじりながら、素手で持ってブティックなどに入るパリっ子を見て、日本人はおしゃれと思うらしいが、パリっ子は時にはそのフランスパンを落とし、汚い道の上を転がっても、また拾って食べる。他にも日本人として衛生観念を疑いたくなることが多々ある。やはり日本は綺麗な国である。
食べ物についても、庶民の食事は非常に質素である。三ツ星レストランなんて一生に一度のこと、パリなんて行った事も無いという地方の人もいる。一般家庭でのジャガイモやパンなどの穀物類、ビールやワイン、そして肉というのがヨーロッパの多くの国の典型的食事である。野菜は殆ど食べないか、くたくたに茹でた野菜が出てくる。食事にしてみるとタイや中国などのアジアの方がバリエーションも多く、豊かだと思える。私が日本人というアジアびいきもあるが、本当に安くて美味しいというものにヨーロッパではなかなか出会えない、実際ロンドン人は言う「イギリスで一番ましな食事は中華料理かインド料理」だと。他の国でも安くて美味しい物を食べに行きたいなら中華街かアラブ人街のケバブ屋というのが普通化してきた。
今回のヨーロッパに来て、一番の収穫は、華やかに見えるヨーロッパも、地方ではほそぼそと農業をして、質素な生活をしていること、「何だ、南半球の人々の生活と変わらない」ということがわかったこと。もちろん教育レベルや生活レベル他の差はあるが、所詮同じ人間であり、誰もが「自分達はそれほど豊かではないが自分の国が好きで、幸せである」と感じている。私も綺麗で、質素であった農業国、日本を見直してみたい。