食遊記豪州編

オーストラリアの食文化、料理研究家の独自の視点で、各話題をピックアップ、お楽しみください。
目次 
#はじめに
#多食文化主義豪州
#豪州料理
#ティー・コーヒー
#人気スナックfish&chips
#スワッグマン開拓料理
#超健康食品ベジマイト!!
#パイ大国
#激甘お菓子
#アボリジニーブッシュタッカー
#パブ酒嗜好品
#豪州ワインの底力
#タバコ、マリファナ、ドラック
#市場に行こう

はじめに

「360度に広がる地平線の彼方に沈む巨大な夕焼けが目に浮かぶ。あれが沈みきり闇夜に包まれ風景が何も見えなくなったら手遅れだ。南十字星くらいは見えなくなった思い出を照らし出す手助けをしてくれるはずだ。なぜなら彼らは有史以来豪州の空の下旅人を導いてきたかのだから、、、、、」

 今まで十数カ国を訪れ伝える事は山ほどあるのですがまとめる気力と暇が無く、今回はじめて以前から書こう書こうと思っていた旅の報告集を書き始めました。1年のオーストラリアの生活を記憶の糸をたぐりつつ書く事にしました。豪州の全ての分野について書いていたら数カ月はかかってしまうので専門の(狂っている?)料理、食文化を中心にそこから見えてくる歴史や習慣、宗教感や自然感、社会の現状などを含めつつ書いて行こうと思いました。

 「民族食文化研究結果報告集」などと民族博物館付属研究所がやっているようなたいした名前は着けられるわけもないので遊んで、食べてきた旅日記だから「食遊記」になりました。急いで作ったため誤字や学術的に不確かな所もあると思いますがご了承を、今後のためご指摘下さると助かります。こんな軟弱なもの読んでられるかと言わずどうか最後まで読んで下さい。きっと観光では見えない豪州の裏が見えてきます

これらの文章は冊子の原稿です。実際の冊子には各ページに絵が添えられていました。現在再販の予定はありませんご了承ください。



多食文化主義豪州


 豪州が多文化主義と言われるのには多種による移民により形成された文化、国作りをしているからです。そもそも米国独立により開拓植民地を無くした英国は流刑囚を豪州に送り開拓を進めました。その後アイルランド大飢饉による移住者や、ゴールドラッシュにより労働者が集まりこの国は作られていきました。開拓精神にあふれていたものの白人による白人国家(白豪主義)は50年代まで続きました。開拓精神的があってもその文化や産業などは英国のまねで浅い物でした。白豪主義の廃止、ベトナムやカンボジアを始めとした世界の難民、移民の受け入れ共存社会を造る事により深みのある文化、社会、(むしろ世界の先駆者?)を造りあげてきました。そして現在もさらに発展を続けその底知れぬ可能性を見せつけています。それは食文化に大きな影響を与えました(次ページ参照)。
 たしかに日本でも世界の料理が食べられます。しかしそれは日本人用の高級、特別ななレストランが多く、庶民の値段で気軽に食べに行ける店は少ないのではないのでしょうか。食材も最近アメ横やデパートなどの専門店で多くの物が手にはいるようになりました。しかし生の香草や果実など手に入らないか高価なものが多く、それが家庭で気軽に世界料理を作ったり、レストランで安価で提供できない原因にもなります。これでは多食文化が定着してるとは言えません(日本は外から入って来るカレーやラーメンなどを日本風にアレンジすることは天才ですが)。
 要因としては作物を育てる気候、土壌の違い、風土の違いなども挙げられますが、決定的な違いは移民社会の形成、発展の違いでしょう。世界の中華街を見て下さい、そこの料理屋には庶民の値段で本物の現地人の為の料理が提供されています。食べに来る人は観光客やグルメは少なく現地中国系人なので味、値段共に妥協は許されません。本当の多食文化ととは、ただ料理店が料理という商品を提供していればいいのでは無く、その空間、参加する客、材料屋、そして家庭へと全てに浸透しだした時それが定着したと言えるのではないでしょうか。それは誰でも参加できる文化なのだから。
 それにしても全世界に街を作り中華食文化を浸透させる中国人民のパワーには脱帽させられる。イギリス、カナダ、スペインから来た友人全て中華街の発達は最近目まぐるしくあちらこちらに中国語の看板を見ることができると言っていた。21世紀には人工、経済的にも世界のトップになり英語より中国語が世界共通語になる日も近いか?!
 前述の国々に広がるのはむろん中国のみでは無くタイ、ベトナム、インド系など今や世界の国々は多文化主義社会に向かおうとしているのでは無いだろうか。いやナシヨナリズムの20世紀をが過ぎ、多民族の共存共生必要な時代に入ったのかも知れない。
豪州には難民移民による異文化社会形成を容認する寛容性というか空気があった。在日韓国人というだけで野蛮な文化(かつて日本人は韓国のにんにく文化を臭い野蛮とばかにしてイタリアを初めとした西洋にんにく料理を知らずに崇めていた)と避難されたり名前を隠したりする必要が無いからだ。文化融合、併合ではなく共存共生が成り立っていた。だからこそ多食文化が浸透でき豪州の貧しい食を一変させることになった。


豪州料理


 さて元祖豪州料理(先住民や移民食文化は含まない)とはどんなものか。答はオージービーフとかカンガルーフやカンガルーの堅い肉、英国を真似したまずい料理と評価は低い。確かに日本に初期に輸出された肉は堅く日本人の口に合わず、表面的な英国料理(家庭料理にその真価があると英国人は言い張る)の評価からみると共に低くなってしまうが、、。
 そもそも英国の流刑囚を起源とするため言葉はコックニーというロンドンの下町なまりで(aをアイと発音、仲間mateがマイト)、食も質素なもので豊かとは言えなかった。それに開拓精神的なワイルドな大陸的な料理も加わりユニークなものとなった、個人的には面白いがすごく旨いとは言いかねない料理も多いが。

ティー、コーヒー

 英国と紅茶においてはインド植民地化、東インド会社設立、ボストン茶会事件やアメリカの独立などその時代を反映して面白い。歴史の教科書に載っていたのを思い出してもらいた。豪州は21世紀に英国の立憲君主制を廃止し国旗、国家をも作り直す。英国とは従兄のようなもので両国に特に問題は無かったが時代の変化が廃止に持ちこんだのであろう。それにしても思い切りの良さには感心する。日本は戦後50年それらでずっと引きずりもめてきたがなぜか解決しない。
 豪州の今の人は紅茶派、珈琲派両方いる、いや両方飲む人も多い。あまりこだわっていないようだ。それよりも砂糖何杯、ミルクが必要かを必ず聞かる。適当でいいよと思うけど彼らは納得しない、こだわりがある。レストランでも珈琲の種類は多い。また今やカプチーノが大人気だイタリア移民の持ち込んだものだが何処のカフェやマクドナルドでも置いている。熱々の珈琲牛乳に粗いクリームの泡を乗せその上に砂糖とシナモンがかけてある。よく語学学校の帰り、クラスメート達(韓国人が多かった)とと学割で1$で飲める店に行って、一杯だけで話し込んだものだ。クリームを最初に全部食べる人、最後に残す人、混ぜる人、いろんな方法があったがどれが一番旨いか未だ意見の一致を見ない(どうでもいいことですが)。

人気スナックfish&chips

 英国が起源の揚げ物で各種の白身魚、鮫やバラマンディー、ジョンドリー(的鯛)を小麦粉と膨らし粉少々を水で混ぜた生地で揚げる。それにフライドポテトを加え紙箱に入れ持ち帰り(take away)にする。好みでビネガーやタルタルソースなどをつけて食べる。ちなみに、くし切りのフライドポテトをウェッジと呼び、外がカリカリで中がホクホクで美味しい。チーズやスイートチリなどのディップソースにつけて食べる。これらは気軽なパーティー料理などに人気だ。夕食をこれだけと言う人もいる、高脂肪食ではある注意。
おふくろの味?ツナモネ
 ホワイトソースにツナ缶を混ぜ耐熱皿に入れチーズをかけてオーブンで焼く家庭料理。その他の魚も使う、グラタンの様な物。同居人の一人がお袋から教わった料理だと言って作ってくれた1番まともな料理だった、ソースはレトルトだったが。オーストラリアン(以下OG)はあまり手の込んだ料理はしない様だ、特に若い女性がしないような気も,,,。
週末は庭でBBQ(バーベキュー)
 公園のあちらこちらに無料のBBQの台があり、各家庭にも1台は置いてある。週末にはあちらこちらで煙と肉のいい香りがあがる。家族、友人達と昼間からビール片手に楽しんでいる光景が見られる。この時に器具や食材を準備、火を起こし調理してサーブするのはホスト(主催)であり父親である。皆非常に手際がいい。豪州の良き父親たるには調理、ガーデニング、子育て、時には家作りまで何でもこなさなくてはならない。
 開拓時代の名残か牛や羊やカンガルーの巨大な肉の塊をそのまま焼いて塩、コショウのシンプルな味で食べる。安い脂の乗りの悪い肉を使うと堅くて普通の日本人には食べられない。これが初期のオージービーフのイメージとなってしまった。血の滴る軟らかいカンガルーのフィレやラムの骨付きわき腹や牛ティーボーンステーキ(フィレとサーロインがT字の骨の両側に付いている)を食べてほしい。最近日本輸出向けも改良され和牛に近ずいてきたとか。
 食事の付け合わせの野菜としてはマッシュポテトやゆで野菜のみと少しお粗末。典型的な米国肉食型に思える。それにしても気軽にBBQが週末何処でも楽しめるのがうらやましい。日本では1年に1回RV車に乗って都市から数時間走ってオートキャンプ場に行き、新品の調理器具で悪戦苦闘日帰りの大イベントとなる。住宅地の庭ではサンマすら焼けなくなったからしょうがない。


スワッグマン開拓料理


 スワッグマンとはかつて大陸内部(out back)を農場から農場へ日雇い労働をしながらと放浪していた人達を言う。彼らは1つのリュックと毛布と調理用の缶(ビリー缶)を持ち蝿よけの為のコルクの付いたカウボーイハットを被っていた。ヒッピーの様なものだけど豪州の過酷なアウトバックの自然の中を一人で生き抜く開拓精神、孤独、自由感はOG達の琴線に触れるようだ。このことを歌ったウオーチングマチルダという曲は国民皆が知っており国歌以上に親しまれている。
 彼らは荒野(bush)で野宿するとき薪で火を炊きビリー缶で紅茶を沸かす。野生種か濃いめの紅茶葉を一煮立ちさせ、缶の取っ手を持ち振り回し遠心力で茶葉を沈ませてカップにそそぎ、多めの砂糖を加えてビリーティーを飲んだらしい。一緒にハードクッキーやダンパーにジャムを付けて食べた。ダンパーとは小麦粉に水を混ぜビリー缶に円形にして積めて地中に半分埋め込み熾き火のオーブン効果で焼き上げるハードブレッドである。このままでは現代人には堅すぎるので今はビールや重曹、バターを混ぜて作る。これらはブッシュで焚火でやると美味しいが、観光地のレストランで食べてみるとまずかった。


超健康食品ベジマイト!!


 ベジマイトとは一見チョコレートの様だが味は発酵した海苔の佃煮の様な味だ。予想外の味、臭いのため日本人の多くは最初受け付けられない。パンにバターとこれを塗って食べたりスープの隠し味やポテトにつけても美味。OGは海外に行ったときこれがないと物足りなくなるので常備するとか。
 ビール製造後底に沈澱した酵母カス(実はビールよりも栄養価が高いので残りカスと言えない?!そもそもアルコール自体が醸造菌にとっては排泄物つまり小便だけど)と野菜類と塩、ミネラルを加えペーストにしたものだ。ビタミンB類他ミネラル必須アミノ酸に富む健康食品だ、主に穀物食品に合うのでその栄養補助効果も期待できる。このビール酵母カスは古代エジプトから薬として使われ、日本の薬品会社でも固化して”わかもと”や”エビオス”という薬で製品化されている。しかし安価で毎朝の常食として浸透している分豪州の勝ちだろう。
しかしこれが発明されたのは1992年と新しい。メルボルンの会社が作り英国の類似品マーマイト(母の力)をもじってベジマイトと名づけた。しかし当初売れゆきがさっぱりであった(分かる気もする、、、)。しかし国民栄養改善の大々的なキャンペーンや戦時の常備食、兵隊の携帯食など時代に必要とされ広まっていった。「ハッピーベジマイト」というコマーシャルではベジマイトの歌が流れ、子供達が毎朝食べて元気良く学校に向かうという内容だった。ベジマイト嫌いの日本人なら身も毛もよだつ様な光景だろう。ダメな人はプロマイトという野菜の変わりに肉類を中心に加工されたより食べ易い姉妹品があるので、それから初めて下さい。これで判るのは国民の嗜好や食習慣にやり方次第で意図的にある食べ物を浸透、定着させることは可能だということです(一時的に全国に広がり消えていくブーム食品は除く)。日本が戦後行ったのが学校給食のパンや牛乳であり賛否両論はあろうが国民の栄養改善に大きく貢献した所が米国のコーラ浸透とは大きく違い評価できる。
ベジマイトホームページ www.vegemite.com.au

パイ大国


牛のミンチに玉ねぎとスパイス類を加えスターチでとろみをつけた具をパイ生地で包んで食べる。ケチャップをかけたほかほかサクサクのパイ生地の中からとろけた具が出てきて美味である。片手で食べられることからキオスクやフェリーの待合い所やペトロールスタンド(売店付きガススタンド)、道ばたの路店あちらこちらで食べれる。タスマニアを車で旅していた時たまたま山間の小さな街のパイ屋に入ったのだが、20種類以上の数もさることながら、作りたてのそれは今まで街で食べてきたのとは比べ物にならないほど美味だった。みんなラッキーな気分になり3人で10数個食べた。
 パイと言っても日本的のアップルパイなどのお菓子は少なく昼食や夕食のメインとなりうるチキンパイやチーズパイ、羊、カレー、形も丸だけではなく四角、長方形、ロール、大きな餃子(イタリアンパスティス)もある。サウスオーストラリア(SA)名物のミートパイを緑豆のペーストに浮かしたパイフローター(浮かんだパイ)がある。緑の中に茶色とケチャップの赤があり色彩もいい、緑豆の栄養効果もいいのだが味の面で賛否両論される。ぜひアデレードで試して欲しい。


激甘お菓子


 アップルパイもあるが食べ方が違う、まずオーブンで焼いたカリカリのパイにカスタードクリームをたっぷりかけ、その上にアイスクリームを2、3すくいのせる聞いただけでも血糖値が上がりそうな話だ。クリームの甘さを落としておくと食べ易い。英国風なカスタードプディングもよく見かけるライスプディングの様にご飯をデザートとしても使う事に抵抗はなく、知人はあつあつのご飯に砂糖とアイスクリームをかけて食べるのが好きだ。東南アジアでも米菓子はよくあるし、日本でももち米を使ったまんじゅうなどがあるのを見ると納得できる。豪州はその他のお菓子もとにかく甘い物が多い。
 ティムタムという人気菓子はただでさえ甘いクリームをサンドしたスナックの表面をチョコレートで覆ったものだ。日本人女性でこれにはまってしまったため大幅に体重が増えて、恐れながら帰国する人も少なくない(もちろん帰国土産もティムタムだが)。アジア圏に行って食あたりや病気で体重を減らす人は多いが、安全で食べ物も豊富なこの国に来る旅行者には少ないようだ。
 またキャラメルをチョコで覆ったスティック菓子も売店に必ず置いてある。ペトロールスタンドで入れ墨をした巨体のトラック野郎がそれを美味しそうにぼりぼり食べているのを良く見る。挑戦してみたが一口で口の中が甘さで充満されギブアップ。
 甘くないお菓子でアンザッククッキーというものがある。オートミールやココナッツ、ゴールデンシロップで硬く焼き上げる。第一次世界対戦時オーストラリアとニュージーランド協同軍(ANZAC)がトルコのガリポリ沖に上陸作戦を行い双方多大な死者を出して失敗した。その兵隊が携帯食として持っていたのがカンパンならぬアンザックビスケットであった為、今もこのアンザックデーには慰霊の行事と共にクッキーが焼かれる。普段にも家庭のお菓子としても作られる。
ニューオーストラリアンキュイジーヌ
 かつてロシアの国民的バレリーナ、パブロバがウェストオーストラリア(WA)を訪れた時あるシェフが記念にメレンゲの上にクリームとフルーツをのせたケーキを造った。名前をパブロバとして今日も豪州名物料理となっている。それほど甘くなくソフトで食べ易い。カーペットバグという豪華な料理がある4cmもの厚さの肉を開き、そこにオイスターを詰め込み焼いてグレービーソースをかけて食べる豪州ならではの豪快な料理だ。まだ一度もお目にかかった事は無いが牡蛎自体は比較的安く売っており良く食べられる。日本産のは貝毒に当たる事があるが、豪州産は大丈夫な様だ生でよく食べられている。特に豪州では他国ミックス型の新しい料理が次々に作られてくる。移民の持ち込んだ食材や料理法を従来から豊富にある食材と組み合わせるのだ。日本風の味付けで豪州創作料理を作る店もある。シドニーのテツヤズという店が2度豪州トップの料理評価を受けた話も有名だ。家庭料理にもソイソースやテリヤキソース、タイのスウィートチリソース、インド系スパイスなどが普及している。
今後どの様な料理、新しい食文化が産まれてくるかが楽しみだ。



アボリジニーブッシュタッカー


 豪州に白人が来て植民地化し200年、建国して100年、若い国だ。ここに4万年前から住んでいた人々がいた。白人は彼らをアボリジニー(先住民)と呼んだ。アメリカンインディアン、世界のマイノリティー先住民族と同様に彼らは迫害された。タスマニア島においては全滅まで追い込まれた。彼らの自然に結びついた暮らしやポインティングアートと呼ばれる高い芸術、ディジュリードウー(ユーカリの木筒楽器)などの音楽が評価され土地所有権、名誉の回復が国家単位でなされたのは近年の事である。近年では観光者の土産としてその芸術品が人気がある。日本でも知られてきだしているようだ。自然愛好家や民族系のフォーラムに行くとディジュリードウーを持った人が来て譜いているがよくあんなかさばる重い物をわざわざ日本まで持って帰ってくるなと感心する。しかし依然豪州の都市ではアルコール中毒者、浮浪者同然それ以下の生活をよぎなくさせられている人、そしてそれを社会のガンの様に扱う冷ややかな目、差別も依然として残る。彼らのつちかってきた社会や習慣があまりにも近代白人社会とは異なっているという所で深い溝がある。驚く事に最初に豪州大陸を発見したキャプテンクックはそれに気づいており、高く評価していた。もちろん18世紀西洋史観の世の中ではその様な意見は受け入れられず彼の到着から侵略の歴史が始まると言うのも皮肉な話だ。
 さてここらでやっとブッシュタッカー(野生料理、アボリジニーの料理をさす)を紹介しましょう。そもそも彼らは5万年前中国南海岸部、東南アジア半島より数波に分かれ海を渡ってきた。ミクロネシア、ポリネシア文化圏はモンゴロイドの特徴を残すのに比べメラネシア文化圏では黒色の肌でこれがオーストラロイドとして豪州でアボリジニーとして定着していったという説が有力である。現に海岸部の村では船を使いメラネシア文化圏と酷似した木彫りの人形や飾りものを作る。しかし内陸部では水と離れた全く異なった生活がある。肌が厚くなったりと環境により体質までも変化させてきた。
 つまりアボリジニーと言っても200以上の部族多数の言語、自然環境そくした習慣、文化がありひとまとめにできないものである事を前提にしなくてはならない。
 彼らは農耕も畜産もせず食品の保存もせず狩猟生活を行っていた。つまり野生の動植物を求めて移動するため、物もほとんど持たなかった。捕獲した動植物は生か焼くシンプルな調理しかなされない。ウィチティーグラブ(こうもり蛾の幼虫)はかむと中から体液が吹き出しピーナッツバターのようでクリーミーであった(蟻の卵や蚕もにも共通する物があった)。密蟻なども残酷なようだが生きたままおしりの密袋かじる、蟻にも酸っぱい甘いと様々な種類がある事を知った、炒めるとより食べやすい。鳥類の捕獲にブーメランを使う事があるが知られるように半円を描き戻ってくる物は少なくあっても鳥を脅かしてこちらに引き寄せるものだ。打ち落とすにはくの字に曲がった投げ棍棒か投げ器で飛ばす槍であった。やってみるとまっすぐ正確に投げるのは難しい、動く動物に当てるのはなおさらだろう。最近は散弾銃をよく使う気持ちもわかる
 エミューやワラビー、カンガルーなどの動物を捕まえた時は直火と熾き火で丸焼きにする。シンプルであるがオーブン効果もあり肉を最も美味しく食べる食べ方かもしれない。ある砂漠の集落を訪ねたときにそれにしても水もろくに手に入らない(煮る料理はもちろん無い、鍋も器も無い)乾燥した所で保存食も作らずよく生きていけるものだと思った。現代人が共に住んでも環境に体がついていかないらしい。海辺や湿地に暮らす人々はカササギガンや魚などを食べる。魚を釣るとき呪文を大声で叫び精霊に呼びかける部族がいる。その他の動物の狩猟でも声に出さず心で唱えるらしい。精霊は自然であり祖先でありそれらとの交信のために必要なのがドリームヒストリー(ジャカルパ)である。それは音楽を奏で火を囲み年長者が語る物語、戒めであり、それは天地創造以前の過去であり現在であり未来である。なかなか近代社会の価値感では計れない事であるが、日本の民間信仰、アニミズム的なものにある神話、戒めの物語などにも近いかも知れない。ちなみに日本人観光客に人気のエアーズロックだがそこは元はウルルと呼ばれる聖地であり、そこを守るアナング族はそこに登ったり(禁止と明記されています)汚す観光者を残念に思っています。最近では理解を深めてもらうためのカルチャーセンターが近年完成しました。それを聞いても記念にと登り写真を撮らなければ気がすまない人々の多くが日本人の様です、無宗教国家のせいでもあるのでしょうか、煽る旅行社のせいでしょうか?
ちなみに捕まえた獲物はハンターから皆に均等に分配される。狩猟採取社会においては基本的に平等に分配される。今では貨幣経済が入り込み狩猟半分、マーケットの食料品半分それ以上(小麦粉などの穀物類に占める割合は高い)で暮らす人も多い。便利さに釣られてかつての習慣を失うのはいけない、昔に帰るべきだなどと観光者は気楽に言うが近代文明社会に浸りきってきた我々が言えた義理ではない。逆に観光地のみでなく都市部でブッシュッタカーを食べさせてくれる店や西洋料理と組み合わせて独自のジャンルを作り出すシェフも注目を浴びている。


移民多食文化


豪州には 前にも述べたように(しつこいですが)様々な民族が食文化を持ち寄り合った結果、ドイツ人が葡萄畑を拓きワインを造りだしそれがバロッサバレーという豪州の4分の3以上のワイン生産地になった。マイセンの持つソーセージやハムの加工技術は酒のつまみには必要だった。つまみといえば西洋諸国系のチーズもいい。メルボルン市の北東部にはにはイタリヤ街がありストリート沿いにイタリヤ料理店が並ぶ。ギリシャ人は魚料理を広めた海岸沿いのシーフードレストランはギリシャ料理店が多い(日本人も魚の解体、調理法特に生食を豪州に伝えた)。

アジア料理

 70年代後半はハーブを多用しつつあっさりめのベトナム料理(もちろんベトナム難民の影響は大きい)。近年人気のあるのは甘味、酢っぱみ、辛みが混在し合うタイ料理が厚くドライな国に合うのかもしれない。タンドールという土がまを作りナンやチキンを焼き数あるカレーを出してくれるインド料理屋(インドとちがい肉料理のレパートリーが多いのが嬉しい)。ちなみにベジタリアン料理はインド料理店だけでなく他のレストランにも必ず用意されている。イスラム系の店ではハラルミート(コーランを唱え正式なやり方で絞められた豚以外の肉)魚アレルギーの注文をするお客も少なくない。個人の意志や信仰を食の場で主張するのは当然で店も対応しなければならない。
 中華料理の浸透は言うまでも無い。どの街にも、時には市の中央にでかでかとチャイナタウンまで創ってしまう人民の食パワーには勝てない。地理的には比較的近いマレーシア料理はピーナツソースをつけた焼き鳥「サティ」、辛め濃いめ海鮮ビーフンスープ「ラクサ」も静かな人気だった。中東の羊肉の串焼き「シークケバブ」や大きなロール状に巻き付いた羊肉をそいでぴたパンに野菜と挟んで食べる「ドネルケバブ」もストリートのtakeout店で見かける。その他多くの民族料理店があったが割愛させていただく。上の個々のアジア料理も別の食遊記アジア編に書かしていただく(予定、、、、未定)。

日本料理

さて我らが日本料理はどういう位置づけになっているかというとやはり高級料理になってしまう。すし、さしみ、テンプラが代表であり、目の前で炎をだしたりナイフフオーク、ヘラを使い派手な料理をする鉄板焼が主流である(実は著者もホテルでこれらをやっていた)。ですから材料費や人権費がかさんでしまうの避けられない(日本のそれよりもはるかに安くはあるが)。
 安い日本料理屋は中国人や韓国人経営または半分韓国料理半分日本料理の店であったりする(韓国料理と日本料理の類似点は多い)。現地人にはどれが日本料理なのだかよく判っていない人も多い。これらを日本料理の正道から言えば邪道と呼ぶ人も多いが、そもそも日本料理自体が他国の素材を取り入れ変化し続けて来たものだ。肉じゃがにしても全て明治以降の外来の素材だしキムチや焼き肉、ラーメンも戦後外から入って来て広まったものだ。これが日本料理と断定するのは野暮というものだ。
 お客は日本企業からの駐在員と招かれた同僚や日本に興味にある現地人、中国人などなど。近年シドニーでは日本人向けの飲み屋や博多ラーメン屋や惣菜が食べられる店も出てきた。今後日本料理が海外でどう変化していくのか楽しみである。当然我々も自国の誇れる文化として周りに紹介していかなくてはならない。巻きす、寿司の素、お好み焼きの素を持っていく事をお薦めします。決して梅干しを持って行っても不用意に欧米人に食べさせないように、いらぬ争いの種を撒きかねません。撒くのは梅干しの種ぐらいにしておいて下さい。


パブ酒嗜好品


 忘れてはいけないのがイギリスから受け継いだパブの文化である。パブはもとはパブリックハウス(公共の家)の略であり、街に教会と同じく必ず存在する、というよりそこら中に存在する。アウトバックではそこは旅人が疲れた体を休めるのと情報を集める場所。労働者の街のパブでは仕事の息抜きと経営者への愚痴話がみられる。学生街では学生同士の討論週末にはダンスホールになり若者は狂乱とガールハント(ボーイハントも結構多い)に明け暮れる。これは何処の国の若者も同じ様な気がする、、、。ちなみにパブでのゲームはプール(ビリヤード8ボール)が人気であった。最近はカラオケやゲームセンターやプレイステーション、ニンテンドー64などの日本製エンターテイメントが幅をきかせ始めた。
男同士でホテルでシャウトは当前?!
初めて合った女の子からホテルに行こうと誘われたり、男友達に誘われてどきっとすることがあるかもしれない。昔パブに夜間の営業許可が降りなくなった時期があった。店、客共に迷惑な話だったので店側はホテルと偽り許可を取った。今ではその法律は淘汰されたがその名残で部屋が一つも無くてもホテルと看板を出すパブも多い。実際二階がホテルのパブもある、酔いつぶれたらすぐに部屋に戻れる事、気に入ったパートナーを下で見つけ2階に上がる(その形の売春館もある)という便利な?!点もあるようだ。男同士で飲むときはシャウト(おごり)するのが一般的だ。しかし上下関係は無くそこには平等なマイトシップ(仲間意識)があり、例えば4人で飲むと一人が4杯シャウトして次の人がそれを繰り返す1周するまで抜けられない、2周目と言われた時にはつぶれる事を覚悟した方がいいアルコール、アルデヒド分解酵素の少ない我らモンゴロイドは現地人にはかなわない。

VB vs coopers 

 かつてからメルボルンとアデレードとはライバルだ。街が似ている事や国民的スポーツのフットボールで両街からのチームが毎年激戦を繰り返すのが理由らしい。ビールにおいてもメルボルンでは苦く飲み口のいいvictoria bitter(VB)で方やペールエール瓶内発酵の濃い口で高いアルコールのcoopersである。好みは分れる。州によってXXXX(フオーエックス)やカスケードやフォスターズなどその地方のビールを持つ。ビール大国らしくこだわりがかなりあるようだ。旅をしながらそこのパブで地方のビールを地元人とシャウトしながら飲むのも楽しい。その飲む量もすごいが車を運転していて喉が乾いたからとか会議の席で一息などと時、所かまわず飲んでいた。最近では飲酒運転、公共の場での飲酒取締も厳しくなりつつある。

BYO

bring your own(酒持ち込み)のレストランにはこの看板が下がっている。無料か格安のチャージで自分の好みの酒を買って持って入れる。安く好きなのを飲めるわけだ。
飲食店が酒類取扱いの免許を取るのは難しいからである。販売許可を持っている飲食店でも日本の高級飲み屋のように極端に高い料金はつけないので安心して酒が飲める。



豪州ワインの底力


 南半球でいいワインが作れるの?と思う無かれ、南緯30度の付近ではイタリアや南フランス、カリフョルニアと同じ地中海性気候であり気候の変動もフランスほど激しくなく安定した葡萄の栽培が出来る。地図を見て欲しい、そこの地帯にはバロッサバレーやハンターバレー(シドニー近郊)やチリや南アフリカなどの新興ワイン産地が名をつらねる。味は太陽の光をたくさん浴びた力強くフレッシュな物が多い。もとはドイツライン地方で甘く仕上がるリースリングが豪州では切れ味のいい辛口に仕上がったり、スパイシーでドライでエスニックを思わせるシラーズなども特徴的だ。
 かと言って味が大振りなわけではなく毎年世界のワインコンクールでフランスの高級ワインとしのぎを削る豪州ワインも出てきている。しかもそれらが低価格(日常用なら10$代で充分)で手にはいるのが嬉しい。ちなみに言っておくと日本のMシャンやSトリーが販売している低価格国産テーブル(副種混合)ワインは原料のくず葡萄ジュースをチリなどから安くで輸入し国内で発酵させて販売している。500円前後のものは料理にすら使えない。千円くらいの赤でなんとか料理に使ってもいいというレベルだ。もちろん甲州種でいいワインもあるが限定品でえらく高価だ。だから関税がかかった輸入ワインを飲むしかない。どなたか日本産で安く質のいいワインを見つけたら教えて欲しい。そもそも日本には世界に誇れる国民酒日本酒があるので無理して西洋の真似をしてワインを造って飲まなくてもいいかも知れない。
 さてワインを最も楽しみ勉強する方法はワイナリー巡りをすることをお薦めする。私は街のワインスクールでワインを学びながらよく仲間同士やツアーバスに参加してバロッサバレーに行きました。何処のワイナリーでも試飲、時にはチーズ、クラッカーを出してくれる。小さなワイナリーでは店主に話しかけるとワインの自慢や苦労話が聞けるし時には秘蔵のワインを飲ましてくれる事もある。造り手の顔が見え実際にワイン畑の風景が見る事ができるのがいい。掘り出し物を見つけたときには嬉しさ倍増だ。私はたまたま自分の産まれた年1974年もののビンテージトニーポートを見つけて迷わず買って日本に持って帰って誕生日のみ開封して家族と共に少しずつ飲んでいる。現地で25$位であった日本では近い年のものが2、3万円で売られていた。
 豪州独特の超豪快なワインはカスクワインである。安いテーブルワインを5リットルのパックにつめて売られている、まさに箱酒。値段は15$ほどと格安、下についている蛇口をひねって流し出す。パーティーやBBQの時に登場する。日常にごくごく飲むのんべえもいる。まちがってハズレのワインを買ってしまったときは1月は地獄を見る羽目になる。


タバコ、マリファナ、ドラック


 食品ではないがサブカルチャー的な嗜好品についての知識を述べておきます。タバコは米国と同じく禁煙派が増えてきている。タバコ税がかなり高いのでボックスで買わずに巻きタバコの中身と紙とフィルターを買い自分で丸める。慣れるまでは綺麗に出来なかったり吸っていたらばらけたりしてしまう。話しながら片手で作れるようになったら君もOGだ。もっともタバコケース大のワンタッチタバコ巻き機と言う便利なものもある。この巻きタバコにマリフアナ(学名カンナビス、中国で大麻、インドでガンジャ)を半分混ぜたりする。純粋物をコーンというパイプ(昔はとうもろこしの芯で作った)やボングという水パイプで吸う方法もある。オランダほど解禁はされていないが州によっては公共の場で吸うと注意を受ける程度の法の軽いところもある。田舎に行くと各農家で作っており一家でマリフアナパーティーということもあるらしい。田舎でヒッチハイクをして乗り込んだ車の運転手がぷかぷかふかしていることがたまにあったが危険きわまりない。週末の若者の歓楽街を歩いて通り抜けるとあちらこちらから香ってくる生草臭い臭いがこれだ。まあタバコよりも依存性と害がないという愛好家もいるが酒と同じでほどほどにしないと怠慢や暴力事件がおき社会的な面で問題になるかもしれない。
 ヘロインやLSDなどのケミカルハードドラッグはもちろん法的に罰則は厳しいが米国と同じく若者の依存が増えているのが問題だ。図書館や公衆のトイレにドラッグ使用後の注射針入れを見かける。問題を楽観論でごまかさず直視するのは評価できるが根本的な解決が必要だ。酒やタバコもそうであるがいつの時代も何処の国でもアンダーグラウンド的な嗜好品が庶民の間で愛用される。禁止になれば解禁しといたちごっこを続ける。国、宗教、時代によっても変わり続ける。究極的な善良の判断は各個人ではないでしょうか。
大衆食文化
 各デパートの地下街には必ずフードコートがある。世界各国の料理の店舗がひしめき合い昼休憩のサラリーマンや学生達もひしめき合う。5$前後と安く、すばやく食べられるためだ。主食と選べるおかず数品と飲物がセットで、例えばご飯(やきそば)と春巻、海老チリ。ナンとカレー数品。タイ米とタイカレーなどである。マクドナルドやハングリージャック(バーガーキング)やケンタッキーフライドチキンなども他国同様若者の好む所だ。メニューは少し異なるものがあり、お気に入りはマクドナルドの異様に安い30セントのコーン(ソフトクリーム)でした。もちろん他国同様若者はコーラ好きであちらこちらで売られている。日本の狂ったように自動販機があちこちにあるわけではないが。あるひとがアメリカ式コカコロナイゼーション(植民地化)政策に世界は犯されていると皮肉っていた。近代では豪州も米国の音楽、映画などの文化、ジャンクフードに犯されていると言われる。実際に危機感を持ち反米感情を示すのは当事者の若いOG達だ。彼らは強力すぎる経済力と軍事力に大きな危機感を感じ反発する事ができる。戦後50年米国に犯され続け反発どころか従い崇拝してしまった国とは大きく違う。彼らは歴史感についてもある程度平和的、中立的なバランス感覚を持っているようだ(もちろん米国の要請で朝鮮、ベトナム、湾岸に出兵したが)。そもそも中産階級以下の人々によって始まった国からか皆で国を作り上げるが国家権力や上流階級者を嫌い皆が平等、マイトと考えるらしい。彼ら白豪主義以降にうまれ視野の広い良い教育を受けた若者達がより良い豪州を作ってくれそうでこれから楽しみだ。日本の若者にも期待しなくてはならないが、、、。



市場に行こう


 僕は様々な国を廻るときまずその国の市場に行く、豪州でも各都市にセントラルマーケットがあったそこには生鮮食料品から加工品、酒、花や服や文具、薬に土産、疲れたら料理店、カフェにパブまである。様は庶民の暮らしに必要な物全てがある。逆に言うと市場を見ると庶民の暮らし、食文化が判る。まず果物屋でライチーや竜眼、パオパオフルーツ(小さなマンゴーの様)やスターフルーツなどの珍しい南国のフルーツを買い、それをかじりながら歩きチーズの試食やオリーブオイルにパンをつけて試食したりとぶるぶらするのが好きだ。地域によって中国系のアジア食材店が幅をきかせていたり(市場の半分がチャイナタウンということもある)、イタリア系の野菜売り場、ギリシャ系の魚やなどが多かったりと変化がある。観光客に人気のTシャツやコアラのグッズなども観光地で買うより2、3割安い。実は僕も日本への土産は市場で買った。市場は庶民の味方だ。


1999年7月第一版印刷