オーストラリアの食文化、料理研究家の独自の視点で、各話題をピックアップ、お楽しみください。
目次
#はじめに
#多食文化主義豪州
#豪州料理
#ティー・コーヒー
#人気スナックfish&chips
#スワッグマン開拓料理
#超健康食品ベジマイト!!
#パイ大国
#激甘お菓子
#アボリジニーブッシュタッカー
#パブ酒嗜好品
#豪州ワインの底力
#タバコ、マリファナ、ドラック
#市場に行こう
はじめに「360度に広がる地平線の彼方に沈む巨大な夕焼けが目に浮かぶ。あれが沈みきり闇夜に包まれ風景が何も見えなくなったら手遅れだ。南十字星くらいは見えなくなった思い出を照らし出す手助けをしてくれるはずだ。なぜなら彼らは有史以来豪州の空の下旅人を導いてきたかのだから、、、、、」 今まで十数カ国を訪れ伝える事は山ほどあるのですがまとめる気力と暇が無く、今回はじめて以前から書こう書こうと思っていた旅の報告集を書き始めました。1年のオーストラリアの生活を記憶の糸をたぐりつつ書く事にしました。豪州の全ての分野について書いていたら数カ月はかかってしまうので専門の(狂っている?)料理、食文化を中心にそこから見えてくる歴史や習慣、宗教感や自然感、社会の現状などを含めつつ書いて行こうと思いました。 「民族食文化研究結果報告集」などと民族博物館付属研究所がやっているようなたいした名前は着けられるわけもないので遊んで、食べてきた旅日記だから「食遊記」になりました。急いで作ったため誤字や学術的に不確かな所もあると思いますがご了承を、今後のためご指摘下さると助かります。こんな軟弱なもの読んでられるかと言わずどうか最後まで読んで下さい。きっと観光では見えない豪州の裏が見えてきます
これらの文章は冊子の原稿です。実際の冊子には各ページに絵が添えられていました。現在再販の予定はありませんご了承ください。 |
多食文化主義豪州豪州が多文化主義と言われるのには多種による移民により形成された文化、国作りをしているからです。そもそも米国独立により開拓植民地を無くした英国は流刑囚を豪州に送り開拓を進めました。その後アイルランド大飢饉による移住者や、ゴールドラッシュにより労働者が集まりこの国は作られていきました。開拓精神にあふれていたものの白人による白人国家(白豪主義)は50年代まで続きました。開拓精神的があってもその文化や産業などは英国のまねで浅い物でした。白豪主義の廃止、ベトナムやカンボジアを始めとした世界の難民、移民の受け入れ共存社会を造る事により深みのある文化、社会、(むしろ世界の先駆者?)を造りあげてきました。そして現在もさらに発展を続けその底知れぬ可能性を見せつけています。それは食文化に大きな影響を与えました(次ページ参照)。 たしかに日本でも世界の料理が食べられます。しかしそれは日本人用の高級、特別ななレストランが多く、庶民の値段で気軽に食べに行ける店は少ないのではないのでしょうか。食材も最近アメ横やデパートなどの専門店で多くの物が手にはいるようになりました。しかし生の香草や果実など手に入らないか高価なものが多く、それが家庭で気軽に世界料理を作ったり、レストランで安価で提供できない原因にもなります。これでは多食文化が定着してるとは言えません(日本は外から入って来るカレーやラーメンなどを日本風にアレンジすることは天才ですが)。 要因としては作物を育てる気候、土壌の違い、風土の違いなども挙げられますが、決定的な違いは移民社会の形成、発展の違いでしょう。世界の中華街を見て下さい、そこの料理屋には庶民の値段で本物の現地人の為の料理が提供されています。食べに来る人は観光客やグルメは少なく現地中国系人なので味、値段共に妥協は許されません。本当の多食文化ととは、ただ料理店が料理という商品を提供していればいいのでは無く、その空間、参加する客、材料屋、そして家庭へと全てに浸透しだした時それが定着したと言えるのではないでしょうか。それは誰でも参加できる文化なのだから。 それにしても全世界に街を作り中華食文化を浸透させる中国人民のパワーには脱帽させられる。イギリス、カナダ、スペインから来た友人全て中華街の発達は最近目まぐるしくあちらこちらに中国語の看板を見ることができると言っていた。21世紀には人工、経済的にも世界のトップになり英語より中国語が世界共通語になる日も近いか?! 前述の国々に広がるのはむろん中国のみでは無くタイ、ベトナム、インド系など今や世界の国々は多文化主義社会に向かおうとしているのでは無いだろうか。いやナシヨナリズムの20世紀をが過ぎ、多民族の共存共生必要な時代に入ったのかも知れない。 豪州には難民移民による異文化社会形成を容認する寛容性というか空気があった。在日韓国人というだけで野蛮な文化(かつて日本人は韓国のにんにく文化を臭い野蛮とばかにしてイタリアを初めとした西洋にんにく料理を知らずに崇めていた)と避難されたり名前を隠したりする必要が無いからだ。文化融合、併合ではなく共存共生が成り立っていた。だからこそ多食文化が浸透でき豪州の貧しい食を一変させることになった。 豪州料理さて元祖豪州料理(先住民や移民食文化は含まない)とはどんなものか。答はオージービーフとかカンガルーフやカンガルーの堅い肉、英国を真似したまずい料理と評価は低い。確かに日本に初期に輸出された肉は堅く日本人の口に合わず、表面的な英国料理(家庭料理にその真価があると英国人は言い張る)の評価からみると共に低くなってしまうが、、。 そもそも英国の流刑囚を起源とするため言葉はコックニーというロンドンの下町なまりで(aをアイと発音、仲間mateがマイト)、食も質素なもので豊かとは言えなかった。それに開拓精神的なワイルドな大陸的な料理も加わりユニークなものとなった、個人的には面白いがすごく旨いとは言いかねない料理も多いが。 ティー、コーヒー英国と紅茶においてはインド植民地化、東インド会社設立、ボストン茶会事件やアメリカの独立などその時代を反映して面白い。歴史の教科書に載っていたのを思い出してもらいた。豪州は21世紀に英国の立憲君主制を廃止し国旗、国家をも作り直す。英国とは従兄のようなもので両国に特に問題は無かったが時代の変化が廃止に持ちこんだのであろう。それにしても思い切りの良さには感心する。日本は戦後50年それらでずっと引きずりもめてきたがなぜか解決しない。豪州の今の人は紅茶派、珈琲派両方いる、いや両方飲む人も多い。あまりこだわっていないようだ。それよりも砂糖何杯、ミルクが必要かを必ず聞かる。適当でいいよと思うけど彼らは納得しない、こだわりがある。レストランでも珈琲の種類は多い。また今やカプチーノが大人気だイタリア移民の持ち込んだものだが何処のカフェやマクドナルドでも置いている。熱々の珈琲牛乳に粗いクリームの泡を乗せその上に砂糖とシナモンがかけてある。よく語学学校の帰り、クラスメート達(韓国人が多かった)とと学割で1$で飲める店に行って、一杯だけで話し込んだものだ。クリームを最初に全部食べる人、最後に残す人、混ぜる人、いろんな方法があったがどれが一番旨いか未だ意見の一致を見ない(どうでもいいことですが)。 人気スナックfish&chips英国が起源の揚げ物で各種の白身魚、鮫やバラマンディー、ジョンドリー(的鯛)を小麦粉と膨らし粉少々を水で混ぜた生地で揚げる。それにフライドポテトを加え紙箱に入れ持ち帰り(take away)にする。好みでビネガーやタルタルソースなどをつけて食べる。ちなみに、くし切りのフライドポテトをウェッジと呼び、外がカリカリで中がホクホクで美味しい。チーズやスイートチリなどのディップソースにつけて食べる。これらは気軽なパーティー料理などに人気だ。夕食をこれだけと言う人もいる、高脂肪食ではある注意。おふくろの味?ツナモネ ホワイトソースにツナ缶を混ぜ耐熱皿に入れチーズをかけてオーブンで焼く家庭料理。その他の魚も使う、グラタンの様な物。同居人の一人がお袋から教わった料理だと言って作ってくれた1番まともな料理だった、ソースはレトルトだったが。オーストラリアン(以下OG)はあまり手の込んだ料理はしない様だ、特に若い女性がしないような気も,,,。 週末は庭でBBQ(バーベキュー) 公園のあちらこちらに無料のBBQの台があり、各家庭にも1台は置いてある。週末にはあちらこちらで煙と肉のいい香りがあがる。家族、友人達と昼間からビール片手に楽しんでいる光景が見られる。この時に器具や食材を準備、火を起こし調理してサーブするのはホスト(主催)であり父親である。皆非常に手際がいい。豪州の良き父親たるには調理、ガーデニング、子育て、時には家作りまで何でもこなさなくてはならない。 開拓時代の名残か牛や羊やカンガルーの巨大な肉の塊をそのまま焼いて塩、コショウのシンプルな味で食べる。安い脂の乗りの悪い肉を使うと堅くて普通の日本人には食べられない。これが初期のオージービーフのイメージとなってしまった。血の滴る軟らかいカンガルーのフィレやラムの骨付きわき腹や牛ティーボーンステーキ(フィレとサーロインがT字の骨の両側に付いている)を食べてほしい。最近日本輸出向けも改良され和牛に近ずいてきたとか。 食事の付け合わせの野菜としてはマッシュポテトやゆで野菜のみと少しお粗末。典型的な米国肉食型に思える。それにしても気軽にBBQが週末何処でも楽しめるのがうらやましい。日本では1年に1回RV車に乗って都市から数時間走ってオートキャンプ場に行き、新品の調理器具で悪戦苦闘日帰りの大イベントとなる。住宅地の庭ではサンマすら焼けなくなったからしょうがない。 スワッグマン開拓料理スワッグマンとはかつて大陸内部(out back)を農場から農場へ日雇い労働をしながらと放浪していた人達を言う。彼らは1つのリュックと毛布と調理用の缶(ビリー缶)を持ち蝿よけの為のコルクの付いたカウボーイハットを被っていた。ヒッピーの様なものだけど豪州の過酷なアウトバックの自然の中を一人で生き抜く開拓精神、孤独、自由感はOG達の琴線に触れるようだ。このことを歌ったウオーチングマチルダという曲は国民皆が知っており国歌以上に親しまれている。 彼らは荒野(bush)で野宿するとき薪で火を炊きビリー缶で紅茶を沸かす。野生種か濃いめの紅茶葉を一煮立ちさせ、缶の取っ手を持ち振り回し遠心力で茶葉を沈ませてカップにそそぎ、多めの砂糖を加えてビリーティーを飲んだらしい。一緒にハードクッキーやダンパーにジャムを付けて食べた。ダンパーとは小麦粉に水を混ぜビリー缶に円形にして積めて地中に半分埋め込み熾き火のオーブン効果で焼き上げるハードブレッドである。このままでは現代人には堅すぎるので今はビールや重曹、バターを混ぜて作る。これらはブッシュで焚火でやると美味しいが、観光地のレストランで食べてみるとまずかった。
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