内蒙古 砂漠の旅、羊と酒と人々と 2005年4月


今回の旅の目的は、内もんごるでも特に砂漠化が進むオルドス地域の砂漠緑化計画をしている坂本氏に協力するためです。
私の目的は、もちろんモンゴルの食と酒を調べること、また、砂漠で育つ作物を使った料理を考え、それを紹介することによって、その野菜を定着、人々の栄養改善も計れたらという考えもあります。
何よりも半年前に訪れたモンゴルの民を酒を再び酌み交わしたい、素朴な彼らの笑顔をもう一度見たいということもある。
北京には半年前まで勉強していた母校、北京師範大学もあり、旧友もまだ残る。再訪するには今を逃しては機会が無い。

包頭(パオトウ)

北京より飛行機で1時間
パオトウに到着する。元々鉄鋼の町であり、今でも商業の町であり、観光名所はしないには無い。
左は町の中心部の県庁。

右:たぶん世界で一番安いパオトウ産ビール”雪鹿ビール”。店で買うと大瓶一瓶1.5元(20円)。ベトナムのビールも安かったが、これだけ安いビールは世界でも見たことがない。酒税や人件費が安い中国だからできるのだろう。
アルコール度は他の中国ビールと同じく3.5%と低め、乾燥した土地、油の強い料理を食べるお国柄こういうビールになるのだろう。昨日白酒(焼酎)を飲みすぎたのでビールにしておこうとか、まだ昼間だしビールにしておこうと言った感覚である。まさに水のようにに飲む。

 鉄板で焼く焼肉屋、羊肉が選べる。これは日本で言う”ジンギスカン”ではなく、韓国料理を模した料理。モンゴルにはこのように鉄板で肉を焼く料理は無い。モンゴルの留学生が日本人にジンギスカン料理の事を聞いて驚いたという。自国の英雄を料理名につけるなんてへんなことはしない。日本人が考え出した料理である。店にあった調味料。パプリカやクミン、粒ゴマなどである。羊の串焼きなどにも使われる。元々モンゴルにはハーブやスパイスを使う料理は無かった、中国のウイグル自治区、つまりイスラム料理から伝わったもの。
 左写真、”マイケンジ”マクドナルドとケンタッキーを合わせたようなお店。もちろん非公認。コピー商品や商店が出回っている中国らしい店。近年”吉野家”や”日本式ラーメン”などファーストフード店が若者に大人気。もちろん庶民の中華料理屋に比べ倍くらい高い。
 右、道端で食べた臭豆腐の揚げ物。唐辛子やクミンなどのスパイスがかかっているのが内蒙古らしい。
 


オルドス県チャガンノール村

 砂漠化の進む村、日本人が声をあげたのに呼応して、その村人が200人参加、日本人10人も加わり10万本を植えた。
 内蒙古と言えば、日本の人は大草原をイメージしますが、実際は過剰な移民と放牧、農地化が進み、多くが砂漠化してしまいました。訪ねた牧民の家のいくつかは目の前まで砂漠が押し寄せ、家が飲み込まれる寸前という家もあった。
 その砂漠の緑化を外国人である日本人が行っているということは非常に中国の人にとって良い印象が大きい。かつて砂漠緑化の第一人者であった遠山老人は中国全土で知られている。

伝統的な内モンゴルの牧民の食事

レンガのように固めて発酵、乾燥させ茶をくだいて煮出す。それに塩や羊乳を好みで加える。さらにキビや羊の肉片、牛乳のユバ”なやチーズなどを入れる。日本のおかゆのよう。牛乳を入れてもいい。少し癖があるので初めて食べると少しきつく感じるかもしれない。
 乾燥地域で乾燥させた保存食を汁にひたすことにより、戻して暖かく食べる知恵だと思われる。
村の集会所で昼食。オルドス地域の伝統料理、フイツァイ(huizai):ジャガイモや豚の角煮、ビーフンを加えて煮込む。

外では人々が立ったまま食べる。中国では外で人に見られながら食べるのが好きなようだ。狭い部屋より明るい外で食べたほうが美味しいのは理解できる。
夜の歓迎会。オルドスの地方都市オトコキにて町長達と。民族衣装を着て女性が白い布に小さなお盆と酒杯を乗せて勧める。酒盃は2杯のときもあれば3杯のときもある。大きいもの小さいものがある。基本的に断ることはできない。つまり飲むしかないのだ。
右写真;羊の血が詰まって茹でて固まったソーセージ。にんにく醤油につけて食べる。新鮮なものはまったく臭みが無い、酒のつまみには最適。野菜を殆ど食べない砂漠地帯でのビタミン供給の知恵である。よって羊をと殺するときは一滴も血を無駄にしない。

牧民の伝統食
 牧民の家に行けば、遠くから客が来たということで、毎日酒宴が開かれます。それがすさまじいのです。世界で一番激しい酒の飲み方をする民族トップ3と言われたら、経験的にまずモンゴル族、次に韓国人かロシア人が挙げます。40度くらいある白酒(bai jiu)を乾杯(gan bei)しながら主賓が客に回していきます。そして今後は客が主賓に回し、その後歌を歌いながら酒を飲まし、、ということが永遠に続いていきます。少ししか飲めないというのは許されません。客をつぶすまで飲ませて彼らは良い接待をしたと満足するのではないかと思います。私も何度も潰されました。酒宴の最後には羊を丸ごと一匹潰したての肉を岩塩で茹でた料理が出てきます。それの濃厚なスープと肉をご飯にかけて羊おかゆが食べられます。その美味しさは世界3大スープに加えてもいいくらいの極上のものです。
 次の日の二日酔い醒ましの朝食には羊の汁とヨーグルトを混ぜたお粥が一番いいです。
伝統的なモンゴル族の牧民の料理は、毎日羊肉と羊の乳製品でした。農耕をいとまなかった遊牧民族は、まさに羊と共に生きてきたのです。現在は漢民族の文化と融合して、野菜や中華料理を食べるようになりました。

オルドス緑化計画の坂本氏の計画とホームページ(抜粋)

内蒙古オルドス。日本の約4分の1に当たる面
積(8,7平方キロメートル)に、約110万人の人々が暮らしています。内蒙古というと大草原というイメージ
がありますがすが、ここオルドスは東に黄土高原の痛々しい侵食谷が連なり、南にモウス砂漠、北にクブチ砂漠、
中央は草原が退化してしてゴビと化しています。まさに生態系破壊の最前線。実際、隊員時代に生徒から聞いた数
々の砂漠化の話にはすさまじいものがありました。砂丘に家を呑み込まれて移転を余儀なくされた者もいました。
どうやったらこの砂漠化を食い止い止めることができるのか、隊員時代からずっと考えてきました。そしておぼろ
げながら徐々にイメージができてきました。 今後、オルドスを愛する一個人として事業をスタートさせます。
オルドスの風HTTP


内蒙古首都フフホト

 砂漠よりフフホトの町に出てくると洗練された料理が食べられる。左は北京でも人気の羊肉のしゃぶしゃぶ。火鍋のようなものである。クコやナツメの入った薬膳スープか普通のお湯か選ぶことができる。シンプルに味を楽しみたいなら湯でいい。焼肉のタレのように濃い味噌ベースのタレもついてくるが、シンプルに酢だけで食べると羊の味がよくわかる。右のように豆腐やキノコ、野菜類などを好みでオーダーして加える。火鍋との違いは、やはり薄い羊片を煮すぎずにさっとゆでることだろう。
左、内蒙古の北側が産地の”木耳”キクラゲ。ねぎと油で炒めてスープを加えとろみがつけてある、上品な味。牧民の家ではもどして炒めただけであった。

右写真、協力隊員の働くモンゴル専科高等学校にて講師の一人として講義を行う。世界地図を用い、世界の言葉、食や文化について話す。生徒も普段聞いたことのない話に興味しんしん。日本の食文化についても話す。多くの生徒が聞いたことがあるが、食べたことが無い。
左、市内で羊を放牧している。羊はゴミや残飯を食べ町を徘徊する。地元の人曰く、だからフフホトの羊肉は美味しくない。地方の草原で育った羊の方が美味しいにきまっている。

右、馬頭琴の工場を訪れて馬頭琴を買う。職人だけあって、自分の指の高さに板をけずってくれたり、何度も弦の具合を調節してくれる。約2万円ほどのセミプロ用のを購入した。


フフホト市内のモンゴルゲルのレストラン

フフホト市内のホテルやモンゴル料理店にはこのようにモンゴルゲルを建てているところがある。中には人が住んでいるわけではなく、宴会場になっている。今では内蒙古ではモンゴルゲルに住んで遊牧生活をしている人はまずいないだろう。外モンゴルでもその数は近代化に伴い減っている。しかし、人々はゲルの中でモンゴル式の宴会をして、酒を飲み交わし歌を歌うという伝統は残った。
 左は特大の移動式戦車ゲル。チンギスハンが侵略のときに馬に何十頭もの引かせて使ったとか。
右上より、フフホト市内のモンゴルゲル料理店”草原城”。まさに城のような構えをしており、中には大草原を模したの舞台とモンゴル舞踊が披露される。ゲルの個室でも馬頭琴を弾いて、歌を歌って酒をついでくれる。

モンゴル料理の数々、欠かせないのが、”羊の丸湯で肉”。好みで焼いて表面がカリカリになった羊肉、これはイスラム教圏ウイグル地方から伝わった食べ方。
中央は沙漠に生える青葱”沙葱”とジャガイモのペーストを合えたもの。同じく伝統料理。


北京モンゴル料理店”蒙古人”

北京でもめずらしいモンゴルゲルを建物の中に持つ料理店”モンゴル人”。中では毎晩歌が催される。
モンゴル人ばかりでなく、北京人他、外国人にも有名。北京中央駅より北へ0.5km
店の羊料理は牧民の家で食べた「塩茹で」と比べ洗練されている。長ネギやタレをつけて小麦粉の皮で包んで食べるという凝ったものもあった。

店のお姉さんが肉をほぐしてくれる。きちんとビニール手袋までしているので驚き。牧民の家では、おやじが土のついたごつい手で裂いてくれたっけ。

さらに北京に戻り、周辺の街へ
庶民の北京ダック

大学の友人達と再会し、大学近くの庶民の北京ダッグ店に行った。北京の名物であるが、庶民はしょっちゅう食べているわけではない
私も特別なときに人を集めて食べるくらいであった。観光客は食べ放題ツアーなどで、たらふく食べた後に油っぽい北京ダックを食べるので皆悪いイメージがある。あたりまえだが。日本に旅行に来た外国人も毎日天ぷらやすき焼きを食べていたらいやになるだろう。
ピータン豆腐。油っぽい料理にあわせられる前菜。豆腐のきり方が面白い。豆腐は味が濃くひきしまっている。

北京ダックコースの仕上げは骨を使ったスープ。全てを無駄にしない中華料理。

山西省・平遥、世界遺産に住む人々

 北京から南西へ夜行列車で一晩。この町に早朝に着いたときに、朝靄に現れた城壁、その城壁内に入ったときに息をのんだ。こんなに美しく整った町がまだ中国にあったのかと。まさに明朝の時代にタイムスリップしたように、たしかに観光客も多いが、人々は気にもしないように、普通に世界遺産の街中に生活をしている。

右、昔からある、ねじり揚げ菓子。揚げているおじさんの隣ではおばさんがものすごい速さで生地を丸めていた。甘みは無く、ゴマの味がついているシンプルな味がまたお茶菓子に合っていい。

左、夕暮れ、道端でスパイスやナツメやクコを売る人。

右、平遥名物、干し肉のスープ。山岳部であったために肉食が主流である。右は犬の干し肉を一度水で戻して、揚げはんと煮たスープ。干し肉に薄塩味とうまみがついている。
干し肉は真空パックになっているので土産にもよい。1パック200gほどで200円。
道端で料理をしている。中華なべ一つですばやく作っていく。油と高熱でさっと作っていくのでこびりつかない。水が無くても洗う必要が無いので次の料理にとりかかれる。なぜ炭で燃え上がる火を作れるのかと不思議に思っって見た。七輪をドライアーで吹き付けていた。
 家の前で無造作に量り売りしている醤油と酢(時に注意)。家の前のおやじに聞いてみると、自分の家で作っているらしい。
 平遥の町には馬車が似合う。中心の歴史地区は車で入るのが禁止されている。自転車だけなので、非常に静か。

右、名物干し肉の湯面。面には細く伸ばしたもの、手で小さくちぎったもの、生地を刀で削った”刀削面”など、さすが面の産地といえる。値段も一杯100円くらいと安い。
 揚げ甘菓子屋、中にはナツメのアンが入っている。娘が丸め母親が揚げる。
写真を「撮っていい?」と聞くと「2元(30円)だよ」と笑いながら言った。「冗談やめてよー」と言って撮らしてもらった。こういうやりとりが楽しい。観光地であるが人々はすれていないし、自然。写真もほぼ問題なく撮らしてくれる。
左、昔の役所、干したとうもろこしの展示。日本の年貢と同じように、大切な主食の一つトウモロコシを役所に収めた。後ろに見えるのはトウモロコシを潰す石臼。

右、唐辛子を民家の前で干していた。中国はニンジンにしろ、唐辛子にしろ、赤色が鮮やか。きつい太陽の射す乾燥した厳しい大地にふんばって育ったからであろうか。


分陽、杏花村、酒の町

のどかな農村風景。暴雨林と乾燥した農地が続く。朝の霧の中かを農民がトラクターで農地に通っていく。

 中国でも有名な分酒(焼酎の一つ)づくりの村”杏花村”のシンボルは牛に乗った子供。直売店には高いのは5000円安いのは200円様々な酒が並ぶ。普通の町のスーパーには高い酒の偽者も出回っているので注意が必要。
町の中心にも酒の看板と、酒の像。酒の工場には宿舎や病院、学校もあるという。一つの町である。
 杏花村の特産のビール。30円くらい。とにかく安い。味はいまいち。北京でももちろん飲むことはできない。規制のせいで青島ビールしか飲めなかった時代に比べ、現在は中国の地方に行くと何処にでも地ビールが飲めるのが楽しい。日本のようにどれもピルスナー系で”どんぐりの背比べ”をしているのではなく、中国のビールには海外のビールと同じく個性があり面白い。ときにまずいビールにあたっても。お気に入りは内蒙古などで飲まれているほろ苦い”苦瓜ビール”。

山西省・大原(taiyan)

 山西省の中心で交通の要所となっている大原の中心地は近代的な町並みが続く面白みは無い。町や郊外にいつくか寺が点在する。町の中心ににある。宗善寺の帰りに山西博物館には寄ってみたい。

左、大原に”ジンツー寺”ありと言われるほど有名な寺、中心街より路線バスで40分。緑の木々と宋代の寺そして湧き水がマッチして美しい。
右、寺の前の屋台で売っていた”ラーピー”。ビーフンで作った皮を伸ばして大きくしたも。タレをかけて冷やして食べるもの、具と一緒に炒めるものがある。
寺の前で中国将棋に熱中する人々。老人も多い。観客がすぐに集まってきて、あれやこれやと口を出す。私もよく道端でうまい人の指し方を見て関心する。

右は、大原名物、骨付背骨の煮込み。骨や骨髄をしゃぶるように食べる。豚肉好きの中国国民だか、山西省ではこのように牛肉がよく食べられる。

「中国・内蒙古、食遊記」反日と民間交流」   廿日市国際交流協会連載記事
 2005年4月25日

私の知青年海外協力隊OB(注1)が元任地である内蒙古の砂漠化防止のために個人で植林活動に立ち上がると、そこに私も含め10人日本人が集合しました。「日本人がやってくれるなら我々も」と、現地の人々が200人参加してくれました。一週間で10万本。立派な日中友好の記念碑まで建ててくれました。両方の協力がなければ絶対に成功しませんでした。風の吹き荒れる砂漠にスコップで穴を掘り、そこに苗木を植えていきます。中国人、日本人共に共同作業でした。昼休みでは、村の集会所で炊き出しが行われ、ジャガイモや豚バラ、ビーフンの煮込んだ伝統料理"フイツァイ"を皆で食べました。夜は地元の人の歓迎で焼酎をひたすら飲み羊肉を食べる宴会が続きました。まさか同じ日に北京では大規模な反日デモが起こっているとは誰も知りませんでした。
何で、こんな反日ムードが高まっている時期にわざわざ中国に行くの?と回りから聞かれましたが、こういう時期だからこそ、あえてこのような民間交流活動が必要であり、実際の現地の人々の考えを知りたいと思ったからです。
反日デモの直後に北京に到着しました。大使館前も毎日通りましたが何事も無く、拍子抜けするほど、人々は落ち着いていました。留学時代の友人や先生にも会い、観光をして、人々と話をしましたが、何も変っていないので安心しました。驚いたのは日本からのTVニュースです。デモの一部の過激な行為のみばかりを繰り返し放映し、一般市民の声が反映されていないのです。あれを見たら誰でも中国に反感を覚えるか怖くなってしまうと心配になりました。元々、平和的に始まったデモに野次馬や不満のある労働者などが加わって過激になってしまったようです。そうなってしまったことを残念に思っている中国人は多いですし、日本の政治には不信感を持っていても、日本の文化や日本人は好きという人が多いことを知って欲しいです。こ北京や内蒙古などを回り各地の人々と話をするとき、「何処から来たの?」と聞かれ「日本から」と答えるとだいたい皆、「中国語が上手いね」と言ってくれるか、「僕も日本語を少し勉強した」とか、そういう和やかな会話になります。不快感を示したりするひとは全くいませんでした。
政治は政治と切り離し、それに翻弄されず、私たち一般人は人と人との国際交流を大切していかなくてはならないと思います。

(注1)、JICAの海外援助の一つ、任期は2年間。中国では日本語教師や音楽教師などをはじめ、50名前後の若者が地元の人と共に活動を行っている。

「中国・内蒙古、食遊記」   =砂漠の茶=
by 放浪の料理人コータ
 朝肌寒い。もう春だというのに、半砂漠化した大地の草草に霜がおりている。昨夜はマイナス何度になったのだろうか?いつもの塩味と羊乳の独特の香りのするお茶をズズズとすする。昨夜の激しい歓迎の酒宴で疲れた胃にしみわたる。内蒙古に帰ってきたと実感する瞬間であった。
内蒙古の伝統的なお茶にヂュアン茶(チャ)というものがあります。訳すとレンガのお茶。名前のとおり、お茶を乾燥させてレンガのように固めたお茶です。持ち運びに便利で、何年でも保存が利くまさに遊牧民のお茶といえます。野菜を食べることの少ない牧民のビタミン源ともなってきました。現在は漢民族の中華料理が入ってきたので、野菜を沢山食べるようになりましたが。
飲み方は茶の塊を砕き、お湯で煮出します。塩を少し入れ、好みで羊の乳を混ぜます。大きなお椀で出されます。塩味と独特の羊乳の香りがします。チベットのヤクの乳の臭いがするバター茶に比べると臭いがやさしいのですが、好みが分かれます。中国人ですらこのお茶が苦手という人がいます。しかし、半砂漠地帯の荒野に出るとこれが毎食出されるわけですから、飲まないわけにはいきません。中国の他の地方でもいえるのですが、水を飲むのはもちろん、冷たいお茶を飲むという習慣はまずありません。近年はコカコーラをはじめ海外からペットボトルの清涼飲料水が入ってきたために人々のお茶を飲む習慣が変ってきています。去年から日本からの逆輸出でペットボトル入りのウーロン茶(砂糖入り)なども売られています。
さて、内蒙古で食事どきになるとそのヂュアン茶(チャ)(ハルハモンゴル語でチョロン・ツァイ)に黍(きび)や羊の乳製品(乾燥チーズやバター、丹乳の湯葉)などを入れます。そこに羊の肉を入れます。骨付き丸ごとの羊の肉なので、小さなモンゴルナイフでそぎおとしていくのですが、慣れるまでに時間がかかります。つまりお茶というより、具が沢山入った日本のお茶漬けのようなものになります。
乾燥した草原と半砂漠地帯は農業には適していません。ですから昔から豊富な草原の草をつかった羊の牧畜をしてきました。そして新鮮な羊肉と羊の乳を使った食べ物、米よりも強い黍(きび)を作りそれらを乾燥させて保存し、食べるときにはお茶漬けで暖かく食べるという環境に合わせた知恵なのです。
お茶の原産地は中国雲南省タイ族自治州と推測されています、まずウイグルに広まり、唐の時代には高級品とされました。宋の時代にはモンゴルは中国より馬と交換で買いました。17世紀にはロシアを通りヨーロッパに輸出されました。お茶はロシア語とモンゴル語で同じくチャイと呼ばれていることから解ります。中央アジアやインドや中東でも同じ名前で呼ばれています。やはり我々皆同じアジアの茶(チャ)文化圏の民なのです。

「中国・内蒙古、食遊記」   =酒と民族=
 

世界を飲み歩いた私の経験から話しますと、世界で最も強烈な酒の飲み方をする民族をあげると、まちがいなくロシア人、モンゴル人、韓国人でしょう。シベリア鉄道でモスクワを目指したとき、毎日酔共にウォッカを飲んで酔いつぶれた気のいいロシアの大男。ソウルの飲み屋街で、モロキュウをかじりながらひたすら韓国焼酎( ソジュ)を飲み続けた韓国人男友達。あたり一面の草原地帯の牧民の家にて一晩中白酒(バイジュウ)を客に薦めつぶすまでゆるさないモンゴル人。激しい酒宴ばかりを思い出します。
たしかにドイツ人のビール、フランス人のワインなど、消費量としてはヨーロッパ人の方が多いのですが、アジアの国ほど激しい飲み方はしません。日本も含め乾杯の文化があります。日本語「かんぱい」=韓国語「ガンベ」=中国語「乾杯(ガンベイ)」。語源的にも同じで、酒杯を合わせ祝った後、杯を乾かす=飲み干すという儀式です。内蒙古でも同じで、酒宴が始まるとまず食事や乳製品を食べておなかを落ち着かせてから酒宴が始まります。民族衣装を着た女性が酒杯を一人一人薦めます。一巡したら、次は主人が進め、そして客人が返杯し。途中に歌が始まり、歌いながら飲む。それを一晩中繰り返します。薦められた酒はマナーとして絶対に断ってはいけません。客人をつぶすまで飲ませてやっと歓迎できたという向こうの価値観なのです。中国・内蒙古の酒宴で飲まれる白酒(バイジュウ)はコーリャンや雑穀を使って蒸留した焼酎です。独特の香りがあり、度数も40度近くと強いです。日本の吟醸酒などのように、味わって飲むというより、とにかく酔うために飲むという感じです。
日本人には中国の紹興酒が人気ですが中国では殆ど飲まれません。魯迅の故郷で有名な紹興の町で作られています。酒場で注文するとお椀たっぷりにガバッとついで出してくれます。紹興酒は庶民の飲む一瓶100円くらいのものから5000円以上する10年ものまである。老酒と呼ばれる熟成させた高級なものには角砂糖は絶対に入れません。以前日本に安くて質の悪い紹興酒しか入ってこなかったときのなごりです。
さて、もう一つ庶民の味方ビールですが、改革解放以降、中国では青島(チンタオ)ビールだけではなく各地の地ビールが飲めるようになりました。苦瓜ビールなんかもあります。そしてなんといっても安い。たとえば内蒙古の"雪鹿ビール"。店で買うと大瓶一瓶1.5元(20円)。ベトナムのビールも安かったが、これだけ安いビールは世界でも見たことがありません。酒税や人件費が安い中国だからできるのでしょう。水やコーラより安いので、北京留学中に学食でビールにするか水にするかいつも悩みました。「午後から授業があるのだけど、、、。」

世界にはいろいろな民族がいてそれぞれに酒の習慣やマナーや楽しみ方などがあります。
8月29日の講習会ではアジアの酒を中心に世界の酒文化を試飲、紹介したいと思います。