ペルー インカ、プレインカ文明発祥の地


 大使館襲撃事件や度重なる日本人旅行者の被害が相次ぎ、協力隊も入国禁止の国ですが、マチュピチュ遺跡やナスカの地上絵図などとても良い場所が沢山あります。
私はインカ帝国の中心地であり、世界文化遺産にもなっているクスコという街でケチュア語を語学学校で習っていました。インカ時代から現在までペルーを中心に、ボリビア、エクアドルなど、広い地域で話されている言葉です。市場や道端で片言で話すだけで相手の対応も良くなります。発音は日本語やマヤ語にも似ていると言われま
すが、文法などはスペイン語や英語と似ています。
 多くの国を回って、ペルー料理はメキシコと並んで、中南米で最も美味しい料理だという結論に達しました。たしかにチリの魚介類やアルゼンチンの牛肉は最高なのですが、調理法が単調です。というのもヨーロッパから入ってきた食文化が中心で、所詮16世紀くらいの浅さだからです。現在はイタリアや中華料理の調理法がもてはや
されてるありさまです。それに比べ、ペルーは先史時代からインカ諸文明、メキシコはマヤ、アステカ文明など優れた文明と農業技術が発展していました。空中都市マチュピチュ遺跡を訪れたとき、その大半を占める段々畑と灌漑施設を確認することができました。スペイン軍がインカ帝国に到達したころには、200種以上の作物が栽
培されていたそうです。現在でも市場に行けば少なくとも20種類以上のジャガイモ、10種類ほどのトウガラシとトウモロコシが見られます。それらを組み合わせ数多くのサルサ(ソース)やシチュー料理を作ります。食の文化の発展には平和で豊かな社会、高度な文明と農業技術が深く関係しているのではないでしょうか。

インカ文明の発祥の地と言われるペルー・チチカカ湖に行きました。ここには様々な島があり、昔ながらの伝統を守っています。最もユニークなのは、水草で作った浮島UROSです。島はスポンジのようにフワフワしています。彼らは魚を捕まえ、日干しにして、それを陸の町に売って穀物を得て生活しています。

他の島々でも、非常に質素な生活をしていました。彼らはここが一番と言っています。島で一晩をあかしました。TVも電話も電気も無いけれど、静けさと星空がありました。
土を食べる?!


チューニョ造り、じゃがいもを朝の霜で凍結させる。それを日中の強い日差しで解凍させて、最後は足で踏んで水を出す。最後には石のようにカチカチになる。アクも抜けるので水で煮てすぐに食べられる。食料の確保が難しかった高地での伝統的な加工法だ。

現在、世界遺産でもありインカ文明の中心地であったクスコ(ケチュア語でヘソを示す)にてケチュア語とペルー料理の研究中。クスコ人は非常に彼らのインカの文化に誇りを持っています。近年スペイン語だった街の道の名前がケチュア語に戻ったり、Cuzcoも時にはQozco、ケチュアはruna simi(人々の口という意味)と言われたりします。市場や地方に行くとケチュア語が使われています。

 インカ文明最大の遺跡で、最大の謎と言われているマチュピチュ遺跡。これだけの遺跡なのに文献は何も残っておらず、誰が何のために作ったのか謎である。ただ、はっきりしているのはここに1万人を越す人々が暮らしていたこと。それは実際に山肌に作られた無数のも段々畑TERAZAとそこに作られた灌漑用水路を見て確認できた。また神殿まで水路が作られて、実際現在も機能していた。

写真右、段々畑と灌漑用水路、観光用の写真は写りのいい神殿部分が中心に写っているが、実際その回りには神殿の数倍もの段々畑が広がる。つまり実際遺跡の半分以上は畑なのだ。それだけ、畑作と食糧確保が重要な活動であった。実際今もボリビアでもペルーでも同じ方法で農業が行われている。
 ナスカの地上絵図。実際飛行機に乗っても高度が高すぎてよく見えない。左は地上得ずのモデル。ナスカ考古学博物館にて。ナスカの模様は宇宙人が書いたものでもなんでもない。木を2本紐を使って書いたと言われている。ナスカ文明の土器には同じ絵柄が多数描かれている。しかし、現在もあれだけのものをどうやって、なぜ書いたかは解明されていない。
右、墓のミイラの実物。再生を願って、水やトウモロコシなどの食料と共に埋葬した。足元には千数百年前のトウモロコシがある。雨が降らない世界で最も乾燥した場所であり、ミイラもほっておいてもできる。ちなみにミイラの作り方は内臓を取り出し、塩とトウガラシを塗りこんで熱で乾燥させる。肉の日干しと同じ要領である。
ピスコ工場
 ピスコは出荷した港町の名前で隣のイカ地方がピスコの名産地、大規模の会社、小規模のピスコ工場が無数にある。今でも足で踏んで、手動の圧搾機で搾していた。その後筒状の陶器のつぼに入れて発酵、最後に薪の火力で蒸留。熟成は殆どしない。
ペルー人はピスコはペルーのオリジナルという誇りがある。まちがって、「チリのワイナリーで美味しいピスコを飲んだ」なんて口をすべれした日には、長々とピスコ論を語られる。実際友人宅に連れて行かれ、最上級のピスコを6種類ほど試飲させられて、美味いと言うまで飲まされた。本当に美味しかった。
u ペルー、リマ市の市場にて、チリにつぐ海産国らしい。ミックスされたものが売られている。スープやセビッチェ(レモンづけマリネ)に。

右、牛肉をつけダレにつけて串焼きにするアンティクーチョはペルーの代表的な軽食。串の先端にじゃがいもが一個ついてきて、それをかじりながら肉を食べる。牛肉しか知られていないが、同じソースを使った魚のアンティクーチョなどもある。
写真は海辺で毎週日曜行われる伝統食市場、名物料理が並ぶ。
左、セビッチェ
発祥地であるトルヒージョのセビッチェ。友人宅で作ってもらう。他の国では肉を小さなサイコロ状に切るのだが、ここのは大きい。トマトやソースなどもいれず、紫タマネギを上に載せただけ、シンプルだ。

右、ティラード
 魚を薄切りの切片にして、トウガラシとレモンのソースをかえたもの。これにもトウモロコシと甘い芋がついてくる。

 
 ペルーのアンデス山脈の村々を高原列車で掛けぬけた、高度が高いためか空気が透き通っている、雲ひとつ無い真っ青な空、荒野に土壁の小屋が見える。その横にはリャマを連れた先住民の子供達がこちらに手を振っている。ペルーの日常的な風景であった。
 ペルーには、南米でも有数の観光名所があります。インカ皇帝発祥の地であり、今も先住民族の島があるチチカカ湖、かつてインカ帝国の中心地で現在世界文化遺産にもなっている古都クスコ、山の上に築かれた空中都市マチュピチュ、ナスカの地上絵などです。チチカカ湖からクスコまではバスも通っているのですが、やはり列車でのんびり風景を楽しむ方が私は好きです。停車駅で村の先住民族の子供や女性などが民芸品や食べ物を売りに来るのを買ったり、話をしたりするのもまた旅の楽しみです。
会話は街ではスペイン語が通じるのですが、地方に行けば今でもインカ時代の公用語ケチュア語しかしゃべらないという人もいます。ケチュア語は今でもボリビアからペルー、エクアドルまで話されていて、南米では最も使用人口の多い言語です。クスコの語学学校で学ぶことができます。ですが、流暢にしゃべるようになる必要はありません。片言で挨拶程度知っているだけでもいいのです。それだけで、市場で買い物をする時や田舎の宿に泊まる時など、相手の対応がかなりよくなります。というのも言語とはその民族の文化であり、少しでもその地方の言語を話そうと努力することは、相手の文化を理解しようと努力している証明になるのですから。グアテマラで協力隊員として働いている時はケチュア語(マヤ言語)を少し話すたびに生徒や職場の仲間から笑顔がもれました。
 言語だけではなく、ペルー人は非常に自分たちの文化に誇りを持っています。例えば、クスコの町の通の名前にしても、近年、スペイン語で付けられていたものがケチュア語に変わりました。祭りになるとインカ時代の踊りやインカ皇帝を再現した儀式が行われたりします。また、ペルーにはピスコという葡萄を発酵させて創る透明な蒸留酒があります。最近はチリやボリビアでも創られていますが、そんなことをペルー人に言えば、「ピスコはペルーのものだ」と長々とピスコ発祥の歴史から始り、説教されてしまいます。民族意識と共に隣どうしの国でライバル意識と敵対意識が入り混じった感情があるみたいです。まあ南米に限らずアジアやヨーロッパ、日本でも同じです。良く言うと兄弟げんかみたいなものですね。