エストニアから、夜行バスで一気に3つの国境を越える、途中外に出て葉巻を吸ったり、売店で買い物をしたり、国をまたいでいる緊張感は無い、これがユーロ諸国かと実感する。しかし4時間おきにパスポートチェックがあった。問題は無いが、起されて眠く不機嫌になる。
ポーランド・ワルシャワに8月1日に到着、大きな式典をやっていた、後で知ったが、まさに44年ワルシャワ蜂起の日であった。参列者に「今日
なんかの日?」という間抜けな質問をしてしまう。
ヨーロッパの旅は歴史とキリスト教と芸術関係の予習が必要だと感じた。
「ヨーロッパは若いときではなく年をとってから行け」というのは一理ある。体力と時間はそれほど必要ではなく金と教養が必要。北欧などは間違っても金の無いバックパッカーは行ってはいけない。いや、いいんだけど、苦しいと思う。
反対ににアジアや中南米は金は無くても時間と体力と根気で勝負する必要がある。昔、「タイは若いうちに行け」という言葉があったが、まさにアジアは若いうちに行けである。
ワルシャワの旧市街、それほど大きくはなく、ここにある博物館の数も少ないので半日あれば回れる。この旧市街地は1944年のドイツ軍に対しての蜂起の際に90%が破壊された。それを戦後市民が、設計図や人の記憶をも引っ張り出してブロック一つヒビ一つ違わずに修復したという有名な話がある。彼らの不屈の精神に敬服する。左は中心広場、夏場野外のカフェが軒を並べる。 右;ポーランド料理BIGOS、キャベツとソーセージの煮込。ドイツ料理から影響を受けているのだろう。サワークラフトほど酸っぱくはない。 |
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ワルシャワ旧市街入り口、芸人、観光客、市民、多くの人でにぎわう。手前にインフォがあり、ここの地図やポーランドの情報をくれる。東欧諸国を回るときは”In
your poquet”という情報誌が便利、各都市の情報が満載。 右、ポーランドの軽食スタンド、サンドイッチやZapiekankiというフランスパンの上にキノコとチーズを乗せてやいたポーランドの軽食を売っている。食事を安く、早くすませるにはここが一番。同じくケバブ・スタンドも若者に人気。どこのヨーロッパでもあるが。 |
クラカオ
ワルシャワから南西へ電車で2時間半くらいの場所にある。2次大戦のとき、空襲にやられずに残った中世の町並みを残す街。ここの町並みはポーランド一であろう。ここからアウシュビッツに日帰りで訪れる観光客も多い。
岡の上に立つクラカオの王宮、中には美術館や武器博物館他、様々な博物館がある。大聖堂を見るのは無料。岡の南西には旧ユダヤ人ゲットーがあり。映画”シンドラーのリスト”はそこを舞台に撮影された。 右、ポーランドギョーザ、ピエロギ。ロシアのそれとどう違うのかはよくわからない。具が違うらしい。ジャガイモ入り、チーズ入りはいいが、チョコレート入りというのはいただけない。 |
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左、カラカスの中心には中世の広場が残り、夜でも活気に満ちている。古さと大きさではヨーロッパの中では最大とか。中心地にある教会。かつてモンゴルの兵が攻めてきたとき、ある若者がこの高い塔のてっぺんに登ってトランペットを吹いて敵の襲来を告げた、彼は兵の弓矢で殺された。それを称えて今でも定時になるとトランペットが吹かれる。 カラカオではチョコレートも有名。この粘性のある濃いチョコレートを飲むと体が温まり元気が出るような気がする。原産地、中米グアテマラの王はカカオをつぶしてドロドロにしたものに唐辛子やスパイスを入れて薬にしていたとか。発想は似ているかも。 |
アウシュビッツ
カラカウからツアーに参加してもいいが、英語の説明。日本人ガイドもいるらしい。個人でもカラカウから電車で一時間ほど、そこから歩いて行ける。入り口のインフォでは日本語の解説書が売られている。それを見ながら回れば充分。丸一日はかかる。
アウシュビッツ博物館、ユダヤ人、ポーランド人、政治犯など150万人の人が殺害されたと言われる。3km郊外にはさらに大きなビルケナウ収容所があり。アウシュビッツが有名だが、ドイツ国内を含め各地にこのような収容所があった。左写真は囚人が強制労働に出かけるときにくぐった入り口、労働意欲をかきたてるために書かれた"arbeit
macht frei"(働けば自由になる)、しかし開放されたものはいなかった。殆どがガス室に送られ殺害された。 右、住居の中でも最も粗悪なもの、ブロックにわらがひかれただけ、戦後、奇跡的に助かった者も病気や栄養失調で歩けない者も多かったとか。 |
カンボジア・プノンペンにも東洋のアウシュビッツと呼ばれるポルポト時代の収容所や殺害場所があった。しかし展示品や復元状態などはアウシュビッツの方が格段によい。それを無料で全世界に見せている。広島の原爆資料館入場料も50円、負けてはいない。広島も含め、人類の負の遺産として全ての人に一度は見て欲しい。
食文化紹介
代表的なポーランド料理は、ピエロギpierogi(クリームチーズとジャガイモの入ったギョーザのようなもの)、ボルシチと一緒に供するウシュカuszka(ラビオリの一種)、ビゴスbigos(ソーセージ、きのこ、キャベツの煮込み料理)、豚肉とキャベツの蒸し煮、ケシの実のデザート、チーズケーキなど。パンは週に何度か、あるいは、毎日買う人もいる。パン、乳製品、魚の缶詰は豊富で、牛肉より豚肉がこのまれる。市場経済への移行にともない、手に入る食材の種類はぐんとふえたが、価格がはねあがったため、ほとんどの家庭で食費の占める割合があがった。
Microsoft(R) Encarta(R) Encyclopedia 2002.引用
廿日市国際交流協会連載記事
東欧
7月夏、北京で留学を終え、そのままシベリア鉄道に乗り、モンゴル、ロシアを越えユーラシア大陸の大きさを感じながらヨーロッパを目指しました。日本人にはTVや雑誌などの情報が入り、観光ツアーも多く、身近に感じるヨーロッパですが、実は意外と知らなかったりイメージと違ったりしていることが、実際に行って感じました。
特にEU統合後、人と物の移動でヨーロッパは変わり続けています。東欧諸国も社会主義崩壊後からさらに大きな変化を迫られています。多くの国がEU加盟のおかげで通貨が統一され国境が開かれたために、お金を変える必要も無くなり、ビザもパスポートのハンコもいらなくなったのは旅行者にとって助かります。ですが、多くの人が移動したため、不法労働者、マフィアや犯罪者、麻薬や銃器なども移動し、各国の都市の治安が悪化しているのが現状です。日本も今後の国際化の中で充分注意が必要なことだと思います。
北欧、西欧、中央、東欧、バルカン諸国、それぞれの国がそれぞれ独特の食習慣と文化、言葉を持っていました。いくつかの国と出会った人々、食べ物についてシリーズで少し紹介したいと思います。
東欧、旧社会主義国
チェコ、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、バルト3国、Etc、、、日本人にとってはあまり馴染みの無い国、または社会主義国や独裁政権が続いた国というマイナスイメージがあります。現在は多くの国が平和で、観光客を狙ったスリや強盗が多いマドリッドやローマなどの大都市より治安はいいくらいです。人々は貧しくとも質素な生活を営んでいます。パリなどの観光大都市から国境を越えて入ってくるとほっとします。観光客が道に溢れてうんざりするということもありません。人も素朴で親切で、落ち着いているように感じます。物価も非常に安く、それぞれの国で伝統料理やワインなども充分楽しめます。また東欧は社会主義の時代からバレエや音楽などの文化水準の高い国も多く、町の国立劇場などで一流のコンサートなどが500円くらいで聞くこともできます。ドナウ川の流れる音楽のチェコの古都プラハでは道端や教会、宮殿、どこでも音楽を聞くことができます。
ポーランドには世界的に有名なアイシュビッツ強制収用所を訪れました。国の援助により無料で博物館として開放されています。広島の原爆ドームと共に世界の全ての人に訪れてもらいたい"人類の負の遺産"だと思いました。ブルガリアは日本ではヨーグルトで知られているように、乳製品を使った料理が多くあります。ルーマニアと同じく社会主義崩壊後、農業が破綻し、かつては農業大国でありながら、現在では食料が足りず多くを輸入に頼っているという状況です。農村では美しい自然と民族衣装と、民族音楽というイメージの裏には貧しさが隠れています。多くのこれらの小さな国々の人々は歴史の中で大国の都合で翻弄されてきました。
観光ガイドブックには載っていない、自分のお気に入りの国を見つけ、ゆっくり滞在するにはこれらの国が一番いいと思います。ただ問題は英語があまり通じないということですが、、、。