ポルトガル・リスボン


大航海時代に栄華を誇った街、今では西の端の小国になった。大地震で古い建物は壊れ、比較的新しい町並み。何やらわびしさすら感じる。

 9月25日ポルトガル・リスボン最西端にあるロカ岬に到着。
7月17日北京から列車に乗って出発した旅ですが、3ヵ月後にここ最西端ロカ岬にたどり着くことによってユーラシア大陸横断したことになります。よく冒険記記などで、何とか大陸横断、一周、何万キロ制覇とかはよく好かれる言葉ですが、私は冒険家でもないので、実はどうでもいいことなんです。2年前も中南米縦断、一周しましたが、私の最大の目的は”各国の食と習慣を調べることです。”ただバスなどの安い費用で各国の食べものを追いかけていたら、そいういうルートになっただけなんですね。お金があったら、豪華客船とか飛行機とか使うのですが、、。でもこれはこれで、ローカルの船やバスに乗ってひたすら陸ゆっくり行き、庶民と触れ合う楽しさがあります。
旅は人や年代それぞれの目的、楽しみかたがありますね。

 海を眺める坂の町ポルトガル。街は地震のため大半が崩れ、比較的新しい町並みと丘の上の方の古い町並みとに分けられる。写真は、丘の上の要塞から。
 ポルトガルの国民食の一つにBacalhau(干したたら)がある。少し塩がしてあり、まるで日本の干物。魚は焼いただけとシンプル。オリーブオイルやレモンを好みでかける。他の料理も薄塩味のシンプルなもの。日本料理にも共通する部分がある。だから多くの日本人にはポルトガル料理が口にあうらしい。大人しい国民性もそうである。魚食民族は性格が似てくるのだろうか?
 左、リスボンの西40kmほどにある西のはて”ロカ岬”、「地の果て、海のはじまるところ」という名文句が刻まれている。最西端到着証明書なるものを発行してくれる。
 右、ポルトガルの特産品ポルトワイン。大航海時代、船に積み込み長期輸送するのに、劣化しないためにブランディーを混ぜ強化酒をつくったのが起源と言われる。ポルトガルの北、ポルトの街の港より出荷されたためポルトワインという名前が着いた。右写真のようにわざと埃がかぶさったままで置いている、その方が価値があるのだ。5年もので1500円ほど、30年物が10000円ほど。
 カステラはもともとポルトガル商人が長崎に持ち込んだもの。(*1参照)。現在ポルトガルにはカステラは無い。日本の長崎でカステラを習ったポルトガル人がリスボンで”里帰りカステラ”として作っている。これが定着すると食文化の逆輸入ということになる。
左、代表的なお菓子、”Pasteu nata”小さなパイ生地の中にカスタードクリームが入って、うまく焦がして焼いてある。中国の広東で同じ菓子があった。なぜなのかずっと疑問であったが、広東やマカオはポルトガル領であったことを知って納得。
 右写真、Bairo altoには伝統的な”ファド”の生演奏レストランが沢山ある。少し悲しい音色が夜のリスボンとワインに合う。日本人でもファンは多い。
 リスボン中心から電車で西へ30分、ベレン地区、博物館や豪華な教会などがある。そこに大航海時代を称えた”発見のモニュメント”がある。エンリケ航海王やコロンブスなどの像がある。そこの地面に世界が発見された年代がある。アメリカ大陸は1492年、それが侵略の始まりであった。ちなみに日本が”発見”されたのは1494年、本当は漂着したのだが。
 ベレンの港を眺める博物館のレストランのテラス。”Sopa verde”(緑のスープ)はポルトガルの代表的なスープ、キャベツなどの野菜がたっぷり入っている。味は薄めで日本人の口にも合う。
 

シントラ

リスボンの北西、ロカ岬に行く途中にある古い街。リスボンより列車で45分で着く。かつての王宮があり、大航海時代の栄光が見える。
小さい街と路地は観光客でいつもいっぱい。

 王宮の前から見える坂の町並みと小さくかわいい家。現在は山の中にある高級避暑地と観光地、そして陶器などの土産屋が並ぶ。
ここの名産は”トラベセイロ”というお菓子。名前のとおり”枕”の形をしている。サクサクのパイ生地の中には黄身に砂糖を練りこんだ甘いクリームが入っている。美味しいのだが、少し甘すぎる。苦いコーヒーと一緒に食べるとよい。

食文化
おもな食品は、魚、野菜、果物。ポルトガルの食材の代表であるバカラウbacalhau(干したタラ)は、通常はジャガイモや緑色野菜、たまにヒヨコマメと一緒に出される。この干しダラにはさまざまな調理法があり、ジャガイモとまぜてたっぷりの油で揚げたコロッケはパステイスpasteisとよばれる。伝統的なポルトガルのサラダは、グリーンレタス、トマト、タマネギを、酢、オリーブオイル、塩であえる。各地にさまざまな鶏肉料理があり、フランゴ・ナ・プカラfrango na pucara(鶏肉を鍋で煮たもの)や、カビデラcabidela(鶏の血で鶏肉と米を煮たもの)などがその一例。また豚、ウズラ、ウサギの肉も食べる。ポルトガルでは豚のどの部分も食材とされる。ポルトガル風ポトフ「コジド・ア・ポトゲザ」cozido a portuguesaは、ジャガイモなどの野菜や豆を、腸詰めや牛、豚、鶏などの肉と煮て、その煮汁で炊きあげた米を付け合せたもの。料理にはオリーブオイルとニンニクが多量につかわれる。果物はデザートとして食べることが多く、チーズは食事の一品として出されることが多い。ペストリーを売る店がたくさんあり、喫茶店でも売っている。ワインは安価で、食事のときにはたいていワインをのむ。

*1 カステラ:南蛮菓子のひとつで、室町時代末にポルトガル人によって長崎につたえられた。語源は、当時イベリア半島にあったカスティリャ王国でつくられた菓子という意味である。江戸時代の「和漢三才図会」(1712)には「加須底羅」としるされている。日本での製造は長崎にはじまり、京・大坂から文政年間(1818〜30)には江戸につたわり、さまざまな改良がおこなわれた。泡だてた卵白に、砂糖と水あめをまぜた卵黄と小麦粉をくわえ、型にながしてオーブンで焼くのが基本的なつくり方であるが、もともとは卵を泡だてず、やわらかいビスケット状だったようである。

Microsoft(R) Encarta(R) Encyclopedia 引用