Espana スペイン

 食の大国スペイン。フランスが料理の味そのものを追及しているとすれば、スペイン人は料理そのものよりも人生自体を楽しんでいるような気がした。朝食、朝のおやつ、食事のワインとシエスタ(昼ね)、遅い夕食、その後のバーに繰り出す。一日の殆どを食事やワインなどを楽しむのに使っているような気がする。途上国南米でそういう国はたしかにあった。しかし、先進国にあってこの生活を続けていけていることがすばらしい。ヨーロッパ各国からは非生産的とか、EU経済に合わないとか批判が出ているようだが、言われる筋合いではない。昼間焼け付く太陽の光が降り注ぐ国で生活するための長年の知恵なのだ。あるイギリス人にシエスタの習慣を非難されたスペイン人が「真昼に暑い街をうろうろしているのは犬か、働きすぎのイギリス人だけだ」と言ってやりかえしたとかいう笑い話がある。

食事時間

朝食は軽く、11時ころにカフェとチュロスなどの軽食を食べる。一日の中心となる食事は昼食で、午後2時ごろ食べるのが昔からの習慣である。夕食は9時か10時ごろ。メリエンダmerienda(午後の軽食)をとる人も多く、夕方5時か6時ごろ、温かい飲み物といっしょにボカディリョbocadillo(サンドイッチ)などを食べる。週末には夕食の後に8時くらいより居酒屋に繰り出し、タパスと酒を楽しむ。

街や職業によっても時間的に若干差があるが、日中にかなりの時間を食事とワインに費やしていることは確かだ。


マドリッド

 大きな町であり、歴史的地区も多くはなく少し騒がしい町だが、スペイン画家の作品を集めた有数の博物館が点在する。そして夜はマヨール広場を中心にあちこちのタベルナが活気づき、人々が出歩く。マドリッドは夜が楽しい。

 夕暮れのバルセロナ王宮前、ここからの夕日が一番美しい。夕暮れは夏場8時半。これから長く楽しい夜が始まる。

”タベルナ”というのは”食べてはいけない”という意味ではなく、食べる所。小皿料理タパスなどをつまみながら酒を飲む居酒屋。立ったままカウンターで飲むのが地元民風。店によってはテラスや店の中に座れる店もあるが、料金が少し高くなる。カウンターの床には食べかすが散らかっている。下が汚い店の方が繁盛しているという証なのである。何か床が散らかっている中国の食堂を思い出す。
 
スペインと言えば生ハム、マドリッドの生ハムと言えば”Museo del jamon(生ハム博物館)”博物館と言っても展示物があるわけではないので注意。生ハムがずらーと吊るされている。客はカウンターで一杯飲みながら生ハムをつまんでもいいし、買って持ち帰ってもいい。ワインとパンも一緒に売っているところがにくい。
2階にはレストランがあり、昼のメニューは1000円、それで前菜、メイン、デザート、オリジナルワイン一本が付いてくる。右は生ハムとメロン、ハムの塩気とメロンの甘みのコンビネーションが絶妙。生ハムも日本のように透き通るように細く小さくは切らない。右写真のように太く大きく豪快に切って出される。こっちでは安いのだ。
昼のマドリッド、スペインの街は昼のシエスタ時は街がゴーストタウンのようになると比喩されるように、多くの店が閉まり、歩いている人も少なくなる。
公園では日陰の芝生で人々が寝ていた。もちろんワインでほろ酔いの私も同じくベンチで寝た。
 夜のマヨール広場、9時くらいから人が集まりだす。店で食べる人、地面に座って仲間と飲む若者達、どこからともなくストリート・ミュージシャンがやってきて演奏を始める。そして人々はその音色に酔いしれる。マドリッドで一番夜面白い場所だ。

トレド 

 マドリッドよりバスで一時間ほど、そこにはメセタと呼ばれるスペインの台地が広がる。乾燥した土地と厳しい自然環境。その山に三方を囲まれた谷の上にそびえるトレドの町。かつてイスラムが支配していたこともある自然の要塞。スペインの画家エル・グレコが魅了された街である。彼の家は今は美術館になっている。

トレドの町角、坂道が続く、道が細すぎて交通機関も入れない。地図を片手に迷いながら登ったり降りたり、とにかく疲れる。

右写真、PERDISという野鳥を赤ワインで煮込んだトレドの名物料理、肉や玉ねぎが充分ワインを吸い込みとろけるように柔らかい。
トレドは刃物でも有名。刃渡りの大きな三角形をした独特の肉きり包丁やハサミ、ナイフなどが各種ある。観光客のためであろうか、剣やアックスなども売られている。一本買って返りたいが、長くて邪魔になるし、成田空港で銃刀法違反で没収されるのは間違いない。
 右、各種マジパン。かつてここの修道院でマジパンを作っていたため名物になったらしい。マジパン屋のショーウィンドーに尼僧の服を着てマジパンを作るキューピットちゃんがいた。他、マジパンでくつった巨大な教会の模型もあった。もちもちしつつサクサクして美味。甘みが少しきついが。



アンダルシア地方

セビージャ

 アンダルシアはフラメンコの本場である。日中強い日差しがさすために、街は白や薄黄色を基調とした壁と影をつくるため細く長い小道が続く。そのため迷路のようになっているが、日陰に入るとひんやりする。日陰を求めながら太陽を避けて歩くように習慣づいて始めてその合理性に気がついた。まだアンダルシアは中世までイスラムの支配下にあり、イスラム文化が開花したところ。今でも多くの美しい宮殿が各地に残る。またフラメンコの歌の中にもイスラム的影響がうかがえる。スペインの中ではアフリカに最も近く、貧しい地域であり、独特の雰囲気を持つ場所である。

左、イスラム時代の王宮”アルカサル”。建物内部の装飾もすばらしいが、ここの庭は随一である。暑さをさけるために各場所に噴水がもうけてある。建物の幾何学模様の造形美、空間のとりかた、自然と噴水の庭など、イスラムの建物には人間と自然と空間の調和があるといわれる。

右写真、アンダルシア地方の名物料理、冷製スープ”ガスパチョ”ニンニクの辛味の中にトマトの甘みが感じられる。ピーマンやパプリカ、オニオンの細かく切ったものを好みで加えて飲む。暑い昼間には体がシャッキリする熱いアンダルシアだからこそこのスープは合う。日本の冬にこれを食べてもおいしくはないだろう。
左、ゴシックのカテドラル内部にあり、町の中心にそびえ立つ97mの塔、ヒラルダの塔、12世紀に回教徒によって建てられたものである。イスラムのつくりで、階段がひとつも無い、回廊をぐるぐる回りながら登るのである。上からの町の眺めは格別。ここの庭にはオレンジのパティオ(中庭)がある。果樹と水路がみごとであった。
 右、フラメンコ居酒屋”Carbonata”。入場料を取らず、気軽に入ってビールをすすりながらフラメンコを見れる。隣の部屋ではピアノとスペイン・ギターの演奏が始まった。地元民、留学生などの客が多く、アットホームな感じがありとても気に入った。
 フラメンコは20世紀に入ってからショー化の傾向が強く。現在も観光客相手の高めのディナーショーなどが多い。こういった庶民のフラメンコバー店は少ない。安くでいいフラメンコを見るなら劇場か舞踏文化会館がお勧め。各町に着いたらまず観光局でたずねるのがいい。

アンダルシア地方のロマの間で発達した伝統的な舞踊と舞曲。ロマ、ムーア人、アンダルシア人などの民俗舞踊にはじまり、数世紀にわたって発展してきた。カンテとよばれる歌とバイレとよばれる踊り、トケとよばれるギターの演奏が渾然一体となって情感たっぷりに演じられる。

フラメンコはその内容から大きく3種類に分類される。カンテ・グランデあるいはカンテ・ホンドとよばれるものは、はげしく深遠な歌詞と、重厚で感傷的な音色が特徴で、フラメンコの真髄とされている。「ドゥエンデ」とよばれる伝説の妖魔がはいりこむと、演技者が深い感動の淵へさそわれる、という土俗的な言い伝えもされている。カンテ・チーコには、愛や自然などの日常的なテーマをうたった明るく可憐な曲が多い。カンテ・インテルメディオは、グランデとチーコの中間的色調のもので、重々しさをおさえた音楽はオリエンタルな音色をもつものが多い。

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グラナダ

 イスラム勢力は8世紀からジブラルタル海峡を渡り、長きにわたり西イスラム帝国を築き、繁栄させた。その後、キリスト教国によるレコンキスタ(国土回復運動)により、徐々に押されていく。そのころ西イスラム国は軍事大国ではなくて文化大国に変わっていった。さまざまなイスラム文化を生み出していった。1479年アラゴン国王子とカスティーリャ王女との婚姻、両国合併により強大なスペイン王国が誕生、1492年ついにグラナダは陥落する。丁度同じ年にコロンブスがアメリカ大陸に到達し、スペインはその後歴史の舞台に踊り出て最盛期を迎える。
 そいう歴史もありグラナダと聞くと、なぜか「ツワモノどもが夢の跡」不思議なセンチメンタリズムを感じる。そしてロマ(ジプシー)の文化、スペイン人の文化などが入り混じってできた町。まさにフラメンコのような町である。

左、ゴメレス坂を上るとたどり着くのが、アルハンブラ宮殿。かつてのイスラムの帝国の繁栄がしのばれる。すばらしい庭や離宮が点在する。ゆっくり見て回ったら3時間はかかる。
左、宮殿から見える旧市街アルバイシン、世界遺産にも登録されている。白壁が美しい。細い路地の坂を登っていくとサンニコラス教会にたどり着く、そこから見るアルハンブラも美しい。山にの斜面の洞窟は昔ロマ達が住んでいた家。現在はバーやレストランになっている。
夜は少し治安が悪いので注意。わたしが行った数日前も深夜に二人の若者がトラブルで殺害された。白い人形の線がまだ路地に残っていた。
 あるタパス屋で、カウンターで立ちながらワインと共にちょっとつまむのが地元民風。席に座ると値段が少し高くなる。テーブル席ではスペインギターを弾きあっている地元のおじさんたちがいた。タパスはきのこのソテーとイカのマリネ、パエリア。
 右、ロマの洞窟の中でのフラメンコ。洞窟に響く、ロマの神がかり的であり、土着くさいフラメンコ。独特の雰囲気があった。


コルドバ

10世紀、イスラムのアン・アンダルス帝国が栄え、その首都コルドバは世界で最も進んだ文化と産業をもっていたという。そのかけらが今のメッカにつぐ世界有数の大規模メスキータ(モスク)からうかがうことができる。

左、メスキータ内部、イスラムスタイルの赤と白の縞模様アーチ。内部は薄暗く、オレンジ色の証明に照らされ幻想的なムードをつくりだしている。
 右、コルドバの名物料理サルモレホ、ニンニク、オリーブがきいている。作り方はガスパチョと煮ているがこちらのほうがクリーミーで味も重い。
 同じく伝統料理「ラボ・デ・トロ」、骨髄骨付きの肉をゆっくり煮込んだもの。油が染み出している。それに山に盛られたポテトをつけて食べる。ボリュームがあり、ちょっとワイルドな料理。
 フラメンコのバー、ピッチャーでサングリアをちびちび飲みながらショーが見れた。カホン(箱の楽器)と男性の歌い手がすばらしい。エキゾチックでまるでコーランように聞こえてくることもある。いろんな文化がまじってできたフラメンコだけあって。

バルセロナ

 スペインと言えば闘牛やフラメンコだがここに来ると、ここには無い。ここはカスティーリャ地方であり、人々は誇りを持ってカスティーリャ語を使う。1975年までのフランコの独裁政権時代は地方分権がも無く、言葉使用が禁止されていた。その後公用語として復活、義務教育でも教えられているとか。スペイン語とフランス語をたして2で割ったような感じ、スペイン語が話せればある程度は理解できる。
 マドリッドと同じ大都市でありながら、人々はより親切でのんびりしており、芸術や食を楽しんでいるように思えた。

 バルセロナはあちこちにガウディの作品がる。彼の設計したグエル公園を散歩すると楽しい。サグラダ・ファミリア教会(左写真)はやはり圧倒される。1882年から作り出して、まだ半分も完成していない。現在の建築技術を持ってしてもあと100年以上かかるというからすごいもので。財政難で計画が中止されそうになったときは市民が寄付金を集めたらしい。いかにもラテン的な寛容なしかも誇りの高い一大計画である。
 中央市場、ここで帰りにチーズと生ハムとワインを買って宿の仲間とパーティーを。他、サフランやパエリアスパイスなど面白いものが手に入る。ランブラス通り沿いにある。
 夜に、バルセロナの友人達と飲みに行く。彼ら曰くサングリアはバルセロナの飲み物らしい。飲み方も尋常ではない。しかしワインに比べ度数は低く、フルーツも多いので体には良いと思われる。
 右、スペインのバルセロナのスペークリングワイン”CAVA”ドライで苦味があり薄めだと感じた。
 スペインではリオハワインが有名だが、スペイン全土、各地でワインを作っている。世界屈指のワイン産出量を誇る。
カタローニャ伝統レストランで、”ブティファードス”ミックス。味のあるサラミのようなハム。他に豆の煮込み料理、テリーヌのような料理など、フランスの国境だけあって、フランス料理の影響kもうかがえた。

右、木〜日曜の夜にスペイン広場での夜の噴水のライトアップとサウンドショー。大音量で派手にやっている。こういうことを無料でやっているのがスペインのいいところ。芸術や遊び心を大切にしている。

食文化

 朝食はコーヒーかホットチョコレート、パンとジャム、またはチューロスchurrosという、小麦粉とバターでできた生地をたっぷりの油で揚げ、砂糖をまぶしたもので軽くすませることが多い。昼食や夕食には、さまざまな種類の肉や魚、サラダ、フルーツ、チーズなどを、ゆっくり時間をかけてたのしみながら食べる。大人は食事のときにワインを飲み、子供は水や清涼飲料水を飲む。テーブルにはたくさんのパンが出される。
 アンダルシア伝統料理に、タマネギ、ピーマン、トマト、ニンニクなどが入った冷たいスープ「ガスパッチョ」gazpacho。
バレンシア地方の米、サフラン、鶏肉、魚介類などを大きな浅い鍋で調理してそのまま出すパエリャpaella。
カスティリャ地方のシチュー「コシード」cocidoなどがある。
タパスTapas(おつまみ)は、あちこちのバルという軽食堂兼居酒屋で食べられ、オリーブの実と厚切りチーズだけの簡単なものから、スパイシーなソースで煮こんだミートボールのようなものまである。地方ごとに独特な料理と特産品が豊富にある。
ワインの生産量は世界のトップクラス。高品質で値段の高いものと、テーブルワインの両方をつくっている。シェリー酒の本場でもある。


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