内モンゴル(中国モンゴル)の食


 モンゴルは歴史的経過により、外モンゴル(ロシア文化圏)と内モンゴル(中国の一部)とに分かれている。どちらも元は同じ文化、同じ言葉を話す民族であった。両国を訪れることによって、その差異を見ると共に、食生活がどう変わっていったのかを見ることができた。歴史により属する社会や体制が変わることによってどのような差が出るのかも見ることができた。貧しくとも独立と伝統的な生活を保つ外モンゴル。中国の同化政策により、裕福になりつつも、独自の文化や民族性を殆ど失いつつあるた内モンゴル。どちらが良い暮らしなのかは我々外部の人間は一言では言えない。


左;チンギスハン廟、彼の遺体はモンゴル式に従いどこかの草原に埋められたので発見できず。この廟には偶像が祭られている。多くの内モンゴル人は今でもチンギスは英雄であり、祈りの対象、信仰である。

右写真;モンゴルで見つけた健康ビール、中国人はこの保健(健康)という文字に弱い。保険証も認めているらしい、たしかにビールにはよい効能は多い、しかしあくまで適量、超えると害になる。
牧民の家を訪ねたときに、羊一頭を料理してくれた。客人をもてなす最大の方法である。
右写真;ナイフで腹を少し切り開き、そこから手をつっこみ心臓付近の動脈をひねって殺す。血は全く外に飛びちらず、大角膜の内部に溜まる、解体の後半にそれをひしゃくですくい取る。腸に詰めて血のソーセージをつくるからだ。羊の解体の手順も早く、血の一滴すら無駄にしない。
右写真、茹でて伝統的方法に従い重ねられたもの。顔の一部の肉をそぎ取り、大地に戻す。大地の神への感謝であろう。羊の屠殺から解体、そして食べるときまで全て一本のモンゴルナイフで行う。
左、モンゴルの保存食・乳製品。黄色いばたー、白いクリーム。乳たんぱく質を固め、布でこして、乾燥させた乾燥乳。乳で作る皮状のゆば。乳製品の加工技術は非常に高い。羊の乳を主に使う。紅茶と羊の乳で作るお茶がある。チベットのバター茶ほど臭みがなく、飲みやすい。

右写真;馬の乳しぼり。最近では蒸留酒、馬乳酒をつくる牧民は殆どいなくなったとか。しかし外モンゴルでは現金収入が少ないため未だ多くのボk民が馬乳酒を自分の家で蒸留している。個人的には馬乳酒はくせがあり、あまり好きにはなれない。内モンゴル人も普段の酒は中国の白酒である。
 モンゴルといえば、草原と包(パオ)、そこを駆ける馬というイメージがあるだろうが、実際モンゴル、特に南西のオルドス地方中心に砂漠化が進み続け、草原は殆どなくなってしまった。馬に乗って遊牧民の生活をする人もいなくなり、オートバイに乗り、都市に住むのが一般的になった。しかし、彼らはコンクリートでできたパオのレストランで馬頭琴を聞き、モンゴル語の曲を歌い、客人にひたすら酒を飲ませる。これがモンゴル式である。
 文化が失いかけつつも、モンゴル人の血が流れていることがわかる。

「北京・食の留学記」 モンゴルの夏 
 
モンゴルと聞くと、誰もが草原を走る馬を想像します。「スーホの白い馬」は日本の教科書に書かれているので多くの人が知っています。その話に出てくる馬頭琴(マートウチン)という弦楽器も日本では人気が高いです。広島でもクラブや留学生達による演奏会がなされます。時には馬の走るように強く、ときには哀愁のある音色が日本人の感覚に会うのでしょうか。また、最近では包(パオ)やゲルといったモンゴルの牧民の移動式住居も広島のワールド・フェスタなどで見かけるようになりました。
ですが、モンゴルというのは2つに分かれます。独立国の外モンゴル国と中国の自治区の一つ内モンゴルです。同じモンゴル族の文化圏ですが、二つの国には大きな差があります。この夏に知り合いの紹介などで、2つの国の牧民の家や宴会におじゃますることができました。
自治区内モンゴルでは、中国の他の都市のように、急速に経済発展をとげています。人々の生活は豊かになりましたが、昔ながらの生活は失われてきました。人々が街に住み、かつての牧民の生活をする人が殆どいなくなりました。牧畜をしないということは、馬も乗らない、パオに住む必要も無い。中国語を話し、中華料理を食べるようになりました。草原も砂漠化の影響が深刻で大部分を失いました。ですが最近では海外からの関心や援助などもあり、砂漠の緑化運動、モンゴル語学校で言葉や文化を教えたり、独自の文化を復活させようという動きもあります。
さて、外モンゴルですが、長年旧ソ連と経済的にも文化的にも密接であったので、今でも街にはロシア文字が書かれ、殆どの人がロシア語を話します。未だ経済的には貧しい国ですが、モンゴルの昔のままの生活がそこには残っていました。首都ウランバートル市を一歩出るとそこには草原とゲルと馬の生活があります。夏でも深夜には零度ちかくなるという非常に厳しい環境です。私の訪ねた牧民の家も羊の乳からヨーグルトやチーズを作り、時には馬の乳を自家製蒸留器で馬乳酒をつくったりします。普段はウォカを飲んでいます。
モンゴルの牧民の家での食事はその乳製品と羊肉と穀物類でした。私が訪ねたときは、歓迎の宴会のために羊を一頭解体してくれました。彼らは、羊の心臓を止めるところから皮をはぎ、肉を解体するまで小型のモンゴル・ナイフ一本で手際よく行います。血も一滴までも料理に使いきります。骨は番犬の餌です。そして宴会が始まると、ひたすら酒を注がれます。馬頭琴の演奏、歌などが加わり酒が回され、客人がまいるまで飲まされます。そこまでするのが客人を招くときの彼らの最大の歓迎なのです。
この2つのルーツが同じで生活習慣が変わった国を見て、近代の生活をして、豊かに暮らすのか、貧しくも自然と伝統と共に暮らし続けるのか、どちらがいいのかは私は言えません。それぞれの国の人々が考えて決めることでしょう。