ベネズエラ

 ドミニカ共和国から、南米の入り口、ベネズエラのカラカスに入った。そのときウゴ・チャベス大統領不信から、ベネズエラ労働連合が呼びかけた無期限ゼネストが深刻な経済危機を招いていた。首都カラカスでは警官隊とデモ隊との衝突が続いていた。こんな時期に来る観光客は少ないのか、空港でのチェックは厳しかった。働きにきたのか?出国のチケットは?などいろいろ聞かれた。経済危機のおかげで闇の換金レートは非常によかった。首都のそこそこのホテルに10$で泊まれた。数年前は10$では売春街のぼろ宿くらいしか泊まれなかったらしい。
 首都カラカスは大都市だ、地下鉄も走っている。人々も紳士的だった。デモが起きているのは一部で人々は普通に生活していた。やはりTVで世界に伝わる情報とは違う。ただ、銀行の外貨両替とATMが全く機能しておらず、両替するのに苦労した。これが経済危機か、と実感した。あと、石油産業で成り立っている国なので、石油業界がゼネストに入ると、ガソリンが不足し、飛行機の欠航、ガソリンスタンドには3Kmの車の列ができていた。まるで70年代オイルショッのよう。TVを付けると赤いベレー帽をかぶった大統領の演説ばかり、いかにも独裁者のように見える、庶民からは嫌われている、他の中米諸国ならクーデターが起きてもおかしくない。しかし大統領派も意外に多く、まとまりがあるのが、今回の騒乱を長引かせている。
 首都は揉めているが、田舎に行けば大自然があり、つい半世紀前まで裸で狩猟生活を送っていた人々が人々が昔ながらの文化を保ちながら平和に暮らしていました。ただ、観光客が来なくなり、観光で生活している人々の生活は苦しくなっているようです。ちなみに私がベネズエラを2週間かけて回ったときに出合った観光客は3人でした。

首都カラカス、毎日デモが続いていた。これは大統領ウゴ・チャベス賛成派の看板「ストライキを止めよう」と書いてある。少し歩くと今度はNO CHAVEZの看板があった。
 商店街の店の多くは閉まっていた。ゼネストに参加してか、銀行が閉鎖しているから、それともこの機会に休みたいからかだろうか。しかし、庶民の食を支えるレストラン、道端の屋台、市場には活気があった。腹が減ってはデモもできずか。ベネズエラに入って料理の本を翻訳するのに苦労した。なぜなら食材のいくつかが中米とは違った名前がついているからだ。例、パパヤ→レチョッサ、カラバサ(南瓜)→アウヤマ、豆の名前は数え切れないほどある。市場にノートを持って言って一つ一つ聞いた。
庶民の食事、「チャワルマ」いわゆるメキシコで言うタコス、ここでは鶏肉と牛肉が混ざっていた、あとマヨネーズで和えたキャベツを沢山巻く。栄養バランスはよりいいかも。
 豆はベネズエラ家庭料理で良く使う。しかし最近は調理に時間がかかることもあり段々食べられなくなっているとか、日本と同じだ。中米では豆と言うとフリホーレスの黒か白くらいしか無かったのに、ここはレンテ豆、キドニービーンズ、インゲン豆、大豆、それぞれに黒や白があり非常に豊富。

ギアナ高地、土地の隆起によって出来た台地、テーブルマウンテンが100以上もそびえる。1000mの標高差で20億年前から地上と隔離されていたため独特の植生を持つ。食料さえあれば恐竜が生きていったっておかしくなかったと言われる。旅行者が登れる場所はロライマ山のみ。ここには世界一の落差のあるエンジェルフォールもあった。
 ギアナ高地のふもとの街カナイマつい半世紀前まで他の町とは隔離されていた。人々は今でものんびりくらしている。子供たちが湖で水浴びを済ませて、取ってきたマンゴーを食べているところ。写真を撮ったら「1ドル!」と言われる他の観光地の子供達のようには擦れてなかった。それどころかマンゴーを半分もらった。お礼に空手クラスを子供達にやってあげた。
ベネズエラの南部に広がるグラン・サバナ。乾燥地帯の向こうにテーブルマウンテンが見える。多くの先住民族が国立公園で暮らしている。いわゆる保護区であるが各国の先住民の様に押し込められているわけではなく。他の観光客や密猟者が入らないように管理し、先住民の人々は狩猟採取、居住が保障されている。ヴェネズエラ人は我々はブラジルと違って先住民族を弾圧せず共存を図ってきたと誇りに言っていた。
 写真右、キャッサバを摩り下ろし、固め、焼いてから乾燥させた”カサベ”、ここの先住民系の人々の主食だ。カリベ族の習慣である。アマゾン川付近の先住民もキャッサバを加工する。
キャッサバを加工する段階で出た絞り汁をヤレという、そのままでは有毒なので、その汁を発酵させて無毒化する。その後に干し魚を焼いて唐辛子を和えたソース”クマチェ”。味も東南アジアでよくあるような漬物のソースにそっくりだ(ナーム・プリックなど)。中南米原産の発酵食品は皆無と思われているが、ここグランサバナのたまたま訪れた街の食堂で発見した。ちなみに上のカサベを水に潰した飲み物を”サクラ”それを発酵っせたドブロクをパラカリと言う。
 写真右、ベネズエラ最大の川と橋、オリノコ川の夕日。この夕日を見ながら、頭の中にはエンヤの「オリノコ・フロウ」が繰り返し鳴っていた。彼女はこの川の流れを見て何を思ったのだろう。